始めに
デュモーリア『モンテ・ヴェリタ』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
デュモーリアの作家性
デュモーリアの代名詞『レベッカ』はブロンテ姉妹と比較されます。シャーロット=ブロンテ『ジェーン・エア』における「屋敷の秘密」「先妻の影」「支配的な男性像」は、『レベッカ』と重なりますし、エミリー=ブロンテ『嵐が丘』に見られるような、荒々しい自然、ゴシック趣味はよく類似性が指摘されます。ただ直接的な強い影響というよりゴシック文学や感傷小説のモードのうえで似たような作風を展開したきらいがつよいです。
実は一番影響が大きいのはモーパッサンです。彼女の短編小説における冷徹な視点と衝撃的な結末は、フランスの短編の名手モーパッサンの影響が指摘されますし、個人的には長編より短編のほうがデュ・モーリアはいい作家です。またスティーヴンソンのロマン主義、ウィルキー=コリンズの作劇からも示唆を受けました。
作家としての血筋も無視できません。祖父のジョージは、催眠術で女性を操る怪人を見事に描いた『トリルビー』の著者です。
世俗と真実
物語の根幹にあるのは、物質主義的な社会や日常の義務を捨て、より高次で純粋な真実を求めるというテーマです。主人公の一人であるアンナが山へ消える選択は、1950年代当時の良き妻、良き女性という社会的役割への拒絶とも取れます。彼女たちが求める真実は、言葉による論理的な理解を超えた、超越的な体験として描かれています。
モンテ・ヴェリタに住む人々は歳を取らないと言い伝えられていますが、そこには残酷な二面性が存在します。 永遠の若さを手に入れることは、人間らしい感情や個性を失い、ある種の生ける屍や彫像のような存在になることを示唆しています。永遠を手にするためには、地上の愛する人々との繋がりを完全に断つ必要があり、その孤独と非情さが強調されています。
ゴシック
デュ・モーリア得意のゴシック的要素が、峻厳な山の自然を通して表現されています。山は美しく神聖な場所であると同時に、人間を拒絶し、狂気へと誘う恐ろしい場所でもあります。カント的な崇高の概念に近く、圧倒的な自然の力に直面した際の、恐怖と歓喜が混ざり合った感情が描かれています。
山の上で行われている儀式や生活は、部外者から見ればカルト的な狂信に見えますが、内部の人間にとっては唯一無二の救済です。語り手の視点を通じ、読者は山に憑りつかれた人々を狂人と見るべきか、あるいは自分たちが見落としている真理に到達した聖者と見るべきか、常に揺さぶられます。
物語世界
あらすじ
登山を愛するヴィクターは、謎めいた魅力を持つ女性アンナと結婚します。二人は新婚旅行でヨーロッパの山岳地帯を訪れますが、そこには地元の人々が恐れ、近づこうとしない禁断の山モンテ・ヴェリタがそびえ立っていました。その山頂には、世俗を捨てた人々が住む要塞のような施設があり、そこに入った者は二度と戻ってこないという不気味な噂がありました。
アンナはモンテ・ヴェリタに対して、恐怖よりも強い、抗いがたい憧れを抱くようになります。ある夜、彼女はヴィクターを置き去りにして、自らの意志で山へと消えてしまいます。絶望したヴィクターは、その後何年もかけて彼女を連れ戻そうと試みますが、山の住人たちに拒絶され、その門を潜ることは叶いません。
長い年月が経過し、語り手は老いたヴィクターと共に再びその地を訪れます。ヴィクターは死の間際までアンナを待ち続けていました。語り手はついに、モンテ・ヴェリタの内部へと足を踏み入れる機会を得ます。そこで彼が目にしたのは、外界の時間の流れから切り離されたような、若さを保ったままのアンナでした。
しかし、再会したアンナはかつての彼女ではありませんでした。山の住人たちは、頭髪を剃り落とし、個人の感情や記憶を消し去った、石像のように無機質な存在へと変貌していたのです。彼らが手に入れた不老の正体は、人間性を代償にした一種の超越的な虚無でした。
物語の最後、山は包囲され、要塞は破壊されます。語り手は、彼らが求めた真実が、救いだったのか、あるいは呪いだったのかという深い問いを抱えたまま、山を後にします。




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