始めに
トウェイン『不思議な少年』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
トウェインの作家性
アーテマス=ワードは19世紀アメリカの人気ユーモリストで、トウェインは彼のあえて調子外れに話す講演スタイルから、間の取り方やユーモアの技術を学びました。ジョージ=ウィリアム=ハリスは南部ユーモアの作家で、彼のキャラクターであるサット・ラヴィングッドの荒々しい方言や無頼な振る舞いは、『ハックルベリー・フィンの冒険』の文体に影響を与えたと言われています。
ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』はトウェインにとって重要なモデルでした。騎士道物語をパロディ化しつつ社会を批判する手法は、『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』などに色濃く反映されています。ラブレーの奔放な想像力と、グロテスクで風刺的なユーモアがトウェインの感性に合致しました。ほかにトウェインはベンジャミン=フランクリンの自伝的な文体や自力で成功する男というアメリカ的理想を、時に敬意を込め、時に皮肉を交えて参照しました。
トウェインは特定の作家を嫌うことで、自分のスタイルを明確にしました。トウェインはスコットの描く騎士道趣味が南部を後退させたと批判しており、彼の仰々しい文体に対する反発が、トウェインの簡潔で口語的な文章を際立たせる一因となりました。またオースティンの作風を酷評していましたが、その反発もまた彼のリアリズム志向を強めるエネルギーとなりました。
英文学とピカレスクの伝統
英米文学は、ピカレスクというスペインの文学ジャンルからの影響が顕著です。ピカレスクは、アウトローを主人公とする文学ジャンルです。ピカレスクは「悪漢小説」とも訳されますが、傾向としてピカレスクの主人公は悪人ではなく、アウトローではあっても、正義や人情に篤く、その視点から世俗の偽善や悪を批判的に描きます。高倉健のヤクザ映画みたいな感じで、主人公はアウトローだけど善玉、みたいな傾向が強いです。
このピカレスクから英文学は顕著な影響をうけ、しかしフィールディング『トム=ジョーンズ』などを皮切りに、ピカレスクに刺激されつつも、それを英文学固有の表現として継承していきました。デフォー『モル=フランダーズ』なども有名です。
そうした土壌の上で、本作も展開されています。
不条理と笑い
トウェインはこの作品を通じて、人間特有の道徳感覚を激しく批判しています。他の動物にはない善悪の判断ができるからこそ、人間はあえて悪を選択し、残酷な行為に及びます。少年(サタン)の目を通して、人間がいかに愚かで、自分たちの残酷さを正当化しているかが冷笑的に描かれています。
作中のサタンは、人間の運命は最初の第一歩によってすべてが決まっており、変えることはできないと語ります。人間の行動はすべて因果関係の鎖に縛られており、自分たちで運命をコントロールしているというのは幻想であるという、決定論的な世界観が提示されています。
もっとも衝撃的なのが結末です。サタンは、この世界も、神も、地獄も、そしてサタン自身も存在しないと告げます。存在するのは思考だけであり、世界は自分自身の心が作り出した空虚な夢に過ぎないという唯我論的な着地を見せます。これは、晩年のトウェインが抱いていた虚無感の表れと言えます。
絶望的な状況の中で、トウェインが唯一提示した救いが笑いです。不条理で残酷な世界に対抗し、正気を保つための唯一の手段が、すべてを笑い飛ばすことだと説いています。
物語世界
あらすじ
1590年代、オーストリアの平穏で停滞した村、エーゼルドルフ。語り手の少年テオドールは、友人二人とともに、ある日、森の中で「サタン」と名乗る美しく不思議な少年に出会います。サタンは自らを堕天使サタンの甥だと語ります。彼は食べ物を空中に作り出したり、粘土から命を持った小さな人間たちを作ったりして、少年たちを驚かせます。
しかし、その振る舞いは神のごとく冷酷です。目の前で自分が作った小人たちが喧嘩を始めると、サタンはハエを叩き潰すような軽やかさで彼らを押し潰し、鼻歌を歌いながら埋葬します。サタンにとって、人間の命や感情は象と赤ん坊の差ほども価値がなく、人間特有の道徳を欠陥品として嘲笑います。
サタンは村人たちの運命を次々と変えていきますが、そのやり方は人間的な倫理を逆なでするものでした。村の友人が将来不幸になることを予見したサタンは、彼を幸福にするために若くして溺死させます。ある人物を救うために彼を発狂させます。サタンいわく、正気でいる限り、人間はこの世の苦しみから逃れられない。狂うことだけが幸福への道だと。少年のテオドールたちは、サタンの圧倒的な知性と力に魅了されながらも、その徹底した冷酷さに戦慄します。
物語の最後、別れの時が来ると、サタンはテオドールにこの世の真理を告げます。「君が現実だと思っているこの世界も、神も、天国も地獄も、すべては存在しない。君という孤独な思考が見ている、ただの空虚な悪夢なのだ」と。
サタン自身もテオドールの想像力が作り出した幻影に過ぎないことを明かし、彼は虚無の中へと消えていきます。テオドールは、自分がたった一人、永遠に続く夢の中に閉じ込められていることに気づき、物語は幕を閉じます。




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