始めに
ユゴー『死刑囚最後の日』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ロマン主義の作家として
ユゴーはロマン主義を代表する作家です。
特に影響を受けたのがフランソワルネ=ド=シャトーブリアンで、個人の自我やキリスト教の美を描く、そのロマン主義を継承しました。他にウォルター=スコットの歴史劇、ジャンジャック=ルソーの個人主義や主体性の発露といったロマン主義、ヴォルテールの古典主義、ラマルティーヌのロマン主義より影響が大きいです。
また、代表作『エルナニ』も、三一致の法則を守らないなど、ロマン主義のルーツであるシェイクスピアからも影響が顕著です。
死刑批判
ユゴーはこの作品を通じて、国家が法の名の下に個人の命を奪うことの不当性を訴えました。死刑が犯罪抑止力にならないこと、そして群衆がそれを娯楽として消費する残酷さを批判しています。どんな罪を犯したとしても、人間から命を奪う権利は誰にもないというユゴーの信念が根底にあります。
この小説の画期的な点は、犯した罪の内容ではなく、死を待つ者の内面に焦点を当てたことです。処刑までの秒読みが続く中で、死刑囚が味わう恐怖、絶望、そして一縷の望みが極めてリアルに描写されています。肉体的な死よりも、死を意識させ続けられる精神的な死のプロセスこそが真の拷問であると説いています。
死刑囚を取り巻く看守、司祭、裁判官、そして見物人の態度は、この悲劇をより際立たせます。法律というシステムの中で、一人の人間の死が淡々と、記号的に処理されていく様子が描かれています。死刑を一つのショーとして楽しみに待つ群衆の姿を通じ、社会全体の道徳的な欠如を問い直しています。
この物語の主人公には名前がなく、どのような罪を犯したのかも明かされません。特定の犯罪者に感情移入させるのではなく、死を宣告された人間一般として描くことで、読者は彼を自分と同じ血の通った人間として感じざるを得なくなります。残された幼い娘や母親の存在が描かれることで、死刑が本人だけでなく、周囲の無実の人々をも破壊することが示されます。
物語世界
あらすじ
物語は、ビセートル刑務所の独房で、男が「死刑宣告」という言葉に打ちのめされる場面から始まります。彼は若く、健康で、知的な人物として描かれますが、犯した罪の詳細は一切明かされません。彼の頭の中は、刻一刻と迫る死という一色に染まり、自由だった過去の記憶と、冷酷な石壁の現実との間を行き来します。
男は、他の囚人たちが徒刑囚として鎖で繋がれ、馬車に乗せられていく様子を窓から眺めます。彼らが受ける非人間的な扱いを見て、男は死ぬことと生き恥をさらすことのどちらが残酷かを自問自答します。周囲の看守や司祭は彼に同情を見せますが、それはあくまで死にゆく者に対する事務的な優しさに過ぎず、彼の孤独は深まるばかりです。
処刑当日、男は最後に一目、3歳になる最愛の娘マリーと面会することを許されます。久しぶりに会った娘は、変わり果てた父親の姿が分からず、彼を知らないおじさんと呼びます。自分が愛する唯一の存在にすら忘れ去られていることを悟り、男は自分はもうこの世界に存在しないも同然だと、死を前にして精神的な死を迎えます。
午後、男はコンシェルジュリー監獄から、処刑場であるグレーヴ広場へと護送されます。窓の外には、一人の人間が死ぬ瞬間を一目見ようと、まるでお祭りのように集まった群衆が溢れかえっています。男は広場に向かう馬車の中でも、もしかしたら恩赦が出るのではないかという微かな希望を捨てきれません。
午後4時。時計の針が処刑の時刻を指します。あと5分、あと1分だけ待ってくれ、恩赦が来るかもしれない、と心の中で叫びますが、無情にも時間は過ぎ去ります。物語は、「午後四時」という言葉を最後に手記が途絶える形で幕を閉じます。



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