始めに
ホーソン「ウェイクフィールド」解説あらすじを書いていきます。
背景知識
ホーソンの作家性
『天路歴程』はホーソンが最も読み込んだ一冊と言われています。善悪の象徴を擬人化して描く手法は、ホーソンの短編や『緋文字』の構成に色濃く反映されています。エドマンド=スペンサー『妖精の女王』の寓意的な騎士道物語から、道徳的なメッセージを象徴的に表現する方法を学びました。ミルトン『失楽園』における人間の堕落や原罪というテーマは、ホーソンの思想的背景に大きな影を落としています。
またホーソンはスコットの歴史小説を愛読していました。歴史的事実とフィクションを織り交ぜ、ロマンスとして昇華させる手法は、ホーソンがニューイングランドの過去を描く際のモデルとなりました。
メルヴィルとは互いに深い尊敬を抱き合った仲です。
ホーソンの創作を語る上で外せないのが、彼の先祖たちが残した負の遺産です。ウィリアム=ホーソンやジョン=ホーソンはセーラム魔女裁判の判事などを務めた厳格なピューリタンでした。ホーソンは先祖が犯した過ちを自身の「血」の罪として重く受け止め、それが『七破風の屋敷』などのテーマに直結しています。
ロマン主義的テーマ
ホーソンはこの物語の最後に、有名な教訓を記しています。個々の人間は、複雑な社会システムの中にしっかりと組み込まれており、そこから一歩でも外れてしまうと、二度と自分の場所を取り戻すことはできず、宇宙の追放者(Outcast of the Universe)になってしまう危険があるというのです。
自分がいなくても世界は何事もなかったかのように回り続け、気づいたときには自分の席が消えているという、人間の存在の代替可能性と脆弱性を描いています。
ウェイクフィールドは、妻を驚かせようという些細な好奇心から家を出ますが、隣の通りで暮らしながら自分を観察者の立場に置くうちに、自分自身の輪郭を失っていきます。彼は生きていながら、社会的には死んだも同然の存在になります。自分の人生を外側から眺め続けることで、主体的・情動的な自分が摩滅していく様子が描かれています。
彼は数日で帰るつもりでしたが、結局20年も戻りませんでした。明日こそ帰ろうと思いながら、現状維持の習慣に縛られ、決断を先延ばしにする人間の心理的な麻痺を鋭く指摘しています。ホーソンは、大きな悪意ではなく、単なる精神的な怠惰や些細な虚栄心が、人生をいかに取り返しのつかない破滅へ導くかを描き出しました。
舞台がロンドンであることも重要です。大都会の喧騒の中では、隣の通りに住んでいても誰にも気づかれない。この都会特有の匿名性が、彼の奇行を可能にし、同時に彼の孤独を深めています。
物語世界
あらすじ
舞台はロンドン。主人公のウェイクフィールドは、知的で善良ですが、どこか虚栄心が強く、他人を観察したがる風変わりな男です。
ある日、彼は妻に数日間旅に出てくると告げて家を出ます。しかし、実際には自分の家のすぐ隣の通りに部屋を借り、そこから自分の不在が家族や世間にどのような影響を与えるかを見物しようと考えたのです。
当初は数日で帰るつもりでした。しかし、家の様子をこっそり伺ううちに、彼は奇妙な感覚に陥ります。妻が自分の不在に悲しみ、やがてそれに慣れていく様子。自分がいたはずの場所が、少しずつ空席として固定されていく現実。 彼は変装して街を歩き、かつての知人や妻とすれ違っても気づかれないことに、一種の快感と恐怖を覚えるようになります。
明日こそは帰ろうと思いながらも、ずるずると月日は流れます。気づけば20年が経過していました。かつての家は相変わらずそこにあり、妻は未亡人として平穏な生活を送っています。ウェイクフィールドはもはや、この世界の住人ではなく、生きながらにして幽霊のような、歴史の傍観者になってしまったのです。
ある雨の降る晩、初老となったウェイクフィールドは、雨に濡れて寒さに震えながら自分の家の前を通りかかります。ふと窓から見える暖炉の火の暖かそうな様子を見て、彼は入って暖まるとしようと、まる数時間外出していただけのような足取りで、20年ぶりに家のドアを叩きます。
物語は、彼が階段を上がっていくところで唐突に終わります。




コメント