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ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ『ポルノグラフィア』解説あらすじ

ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ
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始めに

ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ『ポルノグラフィア』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

ゴンブローヴィッチの作家性

 ゴンブローヴィッチの作品に見られるグロテスクや哄笑の精神は、ルネサンスやバロック期の作家たちに深く根ざしています。ラブレー『ガルガンチュワとパンタグリュエル』に見られる肉体性、無作法さ、そして言語の過剰さは、ゴンブローヴィッチの重要な栄養源でした。​セルバンテス『ドン・キホーテ』における狂気と現実の境界や自己言及的な構造は、彼の小説作法に大きな影響を与えています。


​ ​人間の内面にある醜さや、他人の視線によって自分が規定されてしまう恐怖を描く上で、ロシア文学は欠かせない要素です。ドストエフスキーにおける登場人物たちの自意識の過剰さや、高潔さと卑俗さが同居する心理描写は、ゴンブローヴィッチの他者の前で演じてしまう自分というテーマと強く共鳴しています。


 ​彼は文学者であると同時に、鋭い洞察を持つ哲学者でもありました。ニーチェの価値の転倒や生の肯定といったテーマは、ゴンブローヴィッチの未熟さを肯定する姿勢に反映されています。ショウペンハウアーの世界を意志として捉える悲観的かつシニカルな視点は、彼の作品の底流に流れる冷徹なユーモアに影響を与えました。


​ ​ゴンブローヴィッチを語る上でポーランドの伝統文学は無視できません。​アダム=ミツキェヴィチ、ユリウシュ=スウォヴァツキはポーランドの国民的詩人たちで、ゴンブローヴィッチは、彼らが作り上げたポーランド人という形式を徹底的にパロディ化し、皮肉ることで、個人の自由を確立しようとしました。

未熟と役割

​ ​​ゴンブローヴィッチ文学の核心である未熟さが、ここではより倒錯した形で描かれます。​大人は知性、秩序、形式を持っているが、同時に硬直しており、死に近い存在です。​若者は知性はないが、生命力、美しさ、流動性を持っています。 作中の大人たちは、自分たちが失った生の輝きを若者の中に見出し、それを支配し、自分たちの「形(フォルマ)」に引きずり込もうとします。
​ ​物語の中心人物フレデリックは、まるで作家や演出家のように、現実を操作しようとします。​彼は、互いに無関心な若い男女、ヘニョとカロルジアの間に密かな恋や罪の意識があるかのように仕向け、二人を結合させようと画策します。


​ 事実がどうであるかではなくどう見えるかによって、人々の感情や運命が作り替えられていく不気味さが描かれます。

タイトルの意味

 物語の舞台は、第二次世界大戦下のポーランド占領地です。​周囲では殺戮やレジスタンスの活動がリアルに起きているにもかかわらず、主人公たちは若者の演出という奇妙なゲームに没頭します。極限状態の死と日常の卑小なエロティシズムの対比によって、人間の存在がいかに滑稽で不条理であるかが浮き彫りになります。


​ ​ゴンブローヴィッチは、人間は常により高尚なものを目指すべきだという道徳を否定します。​むしろ、人間はより低俗で、より卑しいものに惹かれる本能を持っていると考えました。​この作品では、知的な大人が、若者の動物的な純粋さに魅了され、自ら堕落していくプロセスが描かれています。

物語世界

あらすじ

 ​舞台は第二次世界大戦下のポーランド(1943年)。ナチス占領下のワルシャワを逃れた語り手のヴィトルトと、その友人である初老の知識人フレデリックは、知人のヒポリトが所有する田舎の屋敷へと身を寄せます。

そこで彼らは、ヒポリトの娘ヘニョ(16歳)と、近所の管理人の息子カロル(16歳)に出会います。二人は幼馴染で、互いに異性としての関心は全くなく、ただの子供同士として無邪気に振る舞っていました。ヘニョには、家柄も性格も申し分ない婚約者アルベルトが別にいます。


​ ​しかし、冷笑的で虚無的なフレデリックは、この二人の若さに異常な執着を見せます。彼はヴィトルトを巻き込み、二人の間に秘められた官能的な結びつきがあるかのように、周囲の状況を操作し始めます。二人をわざと二人きりにさせたり、​二人の些細な動きに深い意味があるかのようにささいたり、​何もないところに共犯関係を捏造したり。​次第にヘニョとカロルも、大人の視線にさらされることで、自分たちが特別な関係であるかのように振る舞い始め、無垢だった二人の間にどろりとした空気が流れ始めます。


​ ​屋敷には、戦意を喪失しお荷物となったレジスタンスの指導者シミアンが潜伏していました。組織にとって、彼はもはや殺さなければならない存在となります。​ここでフレデリックは、最も残酷な演出を思いつきます。若く純粋なヘニョとカロルに、このシミアンを殺害させることで、彼らの若さと死を完全に結合させようとしたのです。


​ ​大人の身勝手な欲望と演出に飲み込まれた少年少女は、ついに取り返しのつかない一線を越えてしまいます。それは肉体的な交わり(ポルノ)ではなく、殺人という罪を共有することによる、精神的な結合でした。物語は、血に汚れた若者たちを、大人たちが恍惚とした、ポルノ的な視線で見つめるという、異様で冷徹なラストへと向かいます。

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