始めに
クリストファー=マーロウ『フォースタス博士』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
マーロウの作家性
マーロウの美しい詩行の土台となったのは、ローマ時代の詩人たちです。彼はオウィディウスの『愛の歌』を英訳するほど心酔していました。奔放な性愛や変身の物語は、マーロウの作品に官能的な響きと、神話的なスケール感を与えています。エリザベス朝悲劇の型を作ったのはセネカです。復讐、残酷な流血シーン、そして運命に翻弄される高貴な人物という構図は、マーロウの『タムバレン大王』などの原型となりました。
当時のイギリスで悪徳の象徴として恐れられつつも、知識人を魅了していたのがマキャヴェッリです。マーロウは、中世的な宗教や道徳という枠組みを無視し、純粋に権力や知識への欲望で動く人間像を描きました。『マルタ島のユダヤ人』の冒頭にマキャヴェッリを登場させていることからも、その影響は決定的です。
彼は先行する形式を劇的に進化させました。トマス=キッドはマーロウの友人で、『スペインの悲劇』で大成功を収めました。マーロウはこの復讐劇の構造を学びつつ、それをより高度な詩的言語へと昇華させました。
『フォースタス博士』には、人間の魂を奪い合う善の天使と悪の天使が登場します。これは中世から続く教訓劇のスタイルですが、マーロウはそこに個人の苦悩という近代的なテーマを吹き込みました。
好奇心と野心
この作品の最大のテーマは、人間の知的好奇心と野心です。主人公フォースタスは、神学、哲学、医学、法学といった既存の学問をすべて極めてしまいます。しかし、彼はそれだけでは足りないと感じ、神に等しい力を求めて魔術に手を染めます。
これは、神を中心とした中世の枠組みを飛び出し、人間はどこまで到達できるのかを試そうとしたルネサンス期の人間像を象徴しています。
作品全体が、古い時代の価値観と新しい時代の価値観の戦場になっています。身の程をわきまえよ。神の領域を侵す者は破滅するという中世的教訓があります。自らの知性で世界を支配したいというルネサンス的な自由への渇望もあります。
悪魔の契約
なぜフォースタスは、24年の契約期間中に何度もチャンスがあったのに悔い改めなかったのか。ここには絶望という深いテーマがあります。
キリスト教において、神の慈悲を信じられなくなる絶望は最大の罪とされました。彼は自分は罪を犯しすぎた、もう神は許してくれないと思い込むことで、自ら救済の道を閉ざしてしまいます。彼の悲劇は、悪魔に負けたことよりも、自分のプライドが神への降伏を許さなかった点にあります。
物語の後半、悪魔の力を手に入れたフォースタスは世界を変えるような偉業を成し遂げる代わりに、教皇をからかったり、ブドウを季節外れに取り寄せたりといった、つまらないいたずらや世俗的な快楽に力を使ってしまいます。
全宇宙を手に入れる代わりに、魂を売った。その結果得られたのは、一時の手品師のような名声だけだったという得られたものの小ささと、失ったものの大きさの対比は、欲望の虚しさを描きます。
物語世界
あらすじ
ドイツの碩学フォースタス博士は、既存の学問(論理学、医学、法学、そして神学)をすべて極めてしまいました。しかし、彼はその限界に絶望します。医者になっても死人は生き返らせられないし、神学を突き詰めれば結局人は皆罪人だという結論に行き着くのでした。
そこで彼は、悪魔を呼び出す禁断の魔術に手を出します。現れた悪魔メフィストフェレスに対し、彼はとんでもない条件を突きつけました。24年間私の望みをすべて叶えろ、その代わりに期限が来たら私の魂をお前にやる。メフィストフェレスはルシファーの許可を得て、フォースタスの血で書かれた契約書に署名させます。
無敵の力を手に入れたフォースタス。さぞや世界を変える偉業を成し遂げるかと思いきや、彼の行動は次第にエスカレートしつつも、どこか俗物的なものになっていきます。
宇宙の真理をメフィストフェレスに問い詰めるものの、地獄については教えてもらません。透明人間になって教皇の晩餐会をめちゃくちゃにし、教皇の耳を引っ叩いたりします。皇帝の前で死んだアレクサンドロス大王の霊を呼び出し、驚かせます。絶世の美女、トロイのヘレナを呼び出し、彼女と接吻します。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、契約終了の時が迫ります。友人たちの学者は彼に今からでも神に許しを乞えと勧め、フォースタスの心も揺れ動きますが、メフィストフェレスの脅しと、自分自身のもう手遅れだという絶望から、ついに悔い改めることができません。
最後の1時間。時計の針が刻一刻と12時へ向かう中、彼は狂ったように叫びます。「時よ止まれ」「大地よ、私を飲み込んで隠してくれ」「10万年苦しんだら、いつか魂を救ってくれ」と。
しかし、無情にも12時の鐘が鳴り響きます。雷鳴と共に悪魔たちが現れ、絶叫するフォースタスを地獄へと引きずり込んでいきました。翌朝、友人たちが発見したのは、バラバラに引き裂かれた博士の死体でした。




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