始めに
ピーター=ヴァイス『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ヴァイスの作家性
ヴァイスの初期作品や、彼の自己の探求というテーマにおいて、カフカの影響は決定的です。亡命生活を送っていたヴァイスにとって、カフカが描く法や社会から疎外された個人は非常にリアルなものでした。
ブレヒトの異化効果や、観客に批判的思考を促す叙事的演劇の手法を継承しました。しかし、ヴァイスは単なる追随者ではなく、よりドキュメンタリー性の強い手法の記録劇へと発展させました。
ヴァイスの晩年の大作『抵抗の美学』や、アウシュヴィッツ裁判を題材にした『追及』において、ダンテの『神曲』は重要な参照点となっています。『追及』は、強制収容所の惨状を『神曲』の「地獄篇」になぞらえた構成をとっています。ほかにもマン、ジョイスから刺激されました。
マラーとサド
劇中で対立する二人は、全く異なる痛みを見つめています。マラーは飢えや搾取といった社会的な苦痛を終わらせようとします。そのためには、古い制度を破壊し、たとえ血を流してでも平等を勝ち取るべきだと主張します。彼にとって、個人の感情は二の次です。サドは死や性欲といった、制度を変えても決して消えない人間の根源的な残酷さを見つめます。サドは、社会が変わっても人間が本質的に孤独で残酷な存在であるなら、政治的な叫びはすべて空虚な茶番にすぎないと考えます。社会を治療したいマラーと人間の深淵を笑うサドの平行線こそが、作品の背骨です。
革命と反動
舞台が精神病院であるという設定は、単なる演出ではありません。劇中では、患者たちが革命の様子を演じていますが、彼らは常に看守や院長によって監視されています。マラーが自由を叫べば叫ぶほど、それを演じているのは自由を奪われた患者であるという皮肉が浮き彫りになります。
これは、自由を求めて起こした革命が、結局は新たな監視社会や独裁を作ってしまうのではないかという、20世紀の歴史に対する痛烈な批判でもあります。
サドは院長の監視下で、あえて不穏な劇を上演させます。院長は演劇は患者のストレス解消だと考えていますが、サドは演劇を通じて患者たちの内なる狂気や不満を爆発させようと企みます。ここには、芸術は世の中を良くするための道具か、それとも既存の秩序をぶち壊す劇薬かという、作者ヴァイス自身の芸術家としての葛藤が反映されています。最後にこの劇は、患者たちの暴動で幕を閉じます。マラーの理想もサドのニヒリズムも飲み込まれ、混沌とした叫びだけが残ります。
物語世界
あらすじ
舞台は1808年、フランスのシャラントン精神病院。かつての実在の人物、マルキ=ド=サドがこの病院に収容されており、彼が他の患者たちを役者に仕立てて、フランス革命の英雄ジャンポール=マラーの暗殺事件(1793年)を再現する劇を上演するという設定です。
病院長のクールミエは、これが患者たちの心理療法になると信じて許可していますが、サドの意図はもっと皮肉で過激なところにあります。
劇の内容は、皮膚病のために浴槽に浸かりきりのマラーのもとへ、暗殺者コルデーが3度訪れ、ついに彼を刺し殺すまでを描きます。しかし、単なる歴史劇ではありません。場面ごとにサドが劇を中断させ、マラーと激しい哲学論争を繰り広げます。
マラーは社会を変えるには、古い体制を破壊し個を捨てて集団で戦わなければならないといいます。サドは革命など無意味で人間を縛っているのは社会ではなく自分自身の肉体や欲望であり変えるべきは社会ではなく自己の内面であるといいます。この二人の対立は、そのまま集団主義と個人主義の対立を象徴しています。
劇がマラーの暗殺で幕を閉じようとする頃、役を演じていた患者たちの興奮がピークに達します。サドの過激な演出と、革命の熱気に煽られた患者たちは、病院の管理体制に対して暴動を起こし始めます。
慌てて制止しようとする病院長クールミエ。舞台と客席、過去と現在、正気と狂気の境界線がすべて崩れ去り、混沌とした叫び声の中で幕が降ります




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