始めに
デュ・モーリエ『レベッカ』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
デュ・モーリエの作家性
デュモーリアの代名詞『レベッカ』はブロンテ姉妹と比較されます。シャーロット=ブロンテ『ジェーン・エア』における「屋敷の秘密」「先妻の影」「支配的な男性像」は、『レベッカ』と重なりますし、エミリー=ブロンテ『嵐が丘』に見られるような、荒々しい自然、ゴシック趣味はよく類似性が指摘されます。ただ直接的な強い影響というよりゴシック文学や感傷小説のモードのうえで似たような作風を展開したきらいがつよいです。
実は一番影響が大きいのはモーパッサンです。彼女の短編小説における冷徹な視点と衝撃的な結末は、フランスの短編の名手モーパッサンの影響が指摘されますし、個人的には長編より短編のほうがデュ・モーリアはいい作家です。またスティーヴンソンのロマン主義、ウィルキー=コリンズの作劇からも示唆を受けました。
作家としての血筋も無視できません。祖父のジョージは、催眠術で女性を操る怪人を見事に描いた『トリルビー』の著者です。
語りの構造
主人公「私」には、全編を通して一度も名前が与えられません。これは彼女が確立された自己を持たず、常に「二番目のド=ウィンター夫人」という影のような存在であることを象徴しています。完璧で社交的、皆に愛されていたと思われていたレベッカという強烈な記号に対し、名前すら持たない私の無力さが際立たされます。
舞台となる屋敷マンダレーは、単なる背景ではなく、意志を持った一つの登場人物のように振る舞います。 磨き上げられた銀食器、厳格な食事の時間、使用人たちの目など、すべてがレベッカが作り上げた秩序であり、主人公を拒絶する装置として機能します。
理想化
人々が見たいものだけを見るという危うさが描かれます。 マキシム以外の登場人物にとって、レベッカは完璧な女性の象徴でした。しかし、中盤で明かされるレベッカの真の姿は、美しき犠牲者というイメージを根底から覆します。
レベッカを神聖視し続けるダンヴァース夫人は、過去に囚われ、未来を拒絶する存在の象徴です。彼女はレベッカの遺品をそのままにし、その不在の存在感を維持することで、主人公を精神的に追い詰めます。
物語世界
あらすじ
身寄りがなく、金持ち夫人の付き添いとして働いていた「私」は、モンテカルロでイギリス人貴族マキシム=ド=ウィンターと出会います。彼は、美しい妻レベッカを不慮のヨット事故で亡くしたばかりの、影のある独身男でした。若く純朴な私は彼に惹かれ、電撃的にプロポーズされ、後妻として彼の大邸宅マンダレーへと向かいます。
コーンウォールの美しい海岸に建つマンダレー。しかし、そこは死んだレベッカの影に支配されていました。屋敷の至る所に残る、レベッカの頭文字R。前妻を崇拝し、後妻である私を冷酷に追い詰める家政婦長ダンヴァース夫人。
私は、完璧だったとされるレベッカと比較され、自分はマキシムにふさわしくないのではないかという深い劣等感と恐怖に苛まれます。
ある日、入江に難破船が現れ、その調査の過程で海底からレベッカの遺体が入ったボートが発見されます。マキシムが以前レベッカだと確認して埋葬した遺体は別人だったことになり、彼は窮地に立たされます。
その後、マキシムは私に、これまで隠してきた驚愕の真実を告白します。レベッカを愛してなどいなかった、心底憎んでいたと伝えます。彼は、不実で冷酷だったレベッカとの諍いの末、彼女を死なせてしまったことを明かします。私は恐怖するどころか、彼は私を愛している、レベッカを愛してはいなかったという事実に歓喜し、彼を守る決意を固めます。
レベッカの死を巡る審問が始まります。自殺か、あるいはマキシムによる殺害か。絶体絶命の瞬間、レベッカが死の直前に密かにロンドンの医師を訪ねていたことが判明します。マキシムは浮気の相談だろうと考えますが、医師のカルテが示したのは、彼女が末期の癌であり、子供も産めない体だったという事実でした。
結局、死因は自殺と判断され、マキシムは無罪放免となります。しかし、勝利を確信してマンダレーへ戻る二人の目に飛び込んできたのは、真っ赤に燃え上がるマンダレーの空でした。レベッカを失った絶望に狂ったダンヴァース夫人が、屋敷に火を放ったのです。




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