始めに
アチェベ『崩れゆく絆』解説あらすじを書いていきます。
背景知識
アチェベの作家性
アチェベは、ジョイス=ケーリー『ミスター=ジョンソン』を読み、ナイジェリア人があまりに滑稽で無知に描かれていることに激しい憤りを感じました。自分たちの物語は、自分たちで書かなければならないと決意させた決定的な存在です。
コンラッド『闇の奥』も「徹底的な人種差別主義」と批判し、文明化されていない野蛮なアフリカというステレオタイプを覆そうとします。
他方でイエイツ、T.S.エリオット、モームやグレアム=グリーンなどの英文学からは刺激を受けました。
タイトルの意味
物語の核心は、長年続いてきたイボ族の伝統的価値観と、キリスト教を伴ってやってきた西洋の新しい秩序の激突です。外部から持ち込まれた新しい宗教や法制度が、それまで村を支えていた信仰や社会的結束を内側から引き裂いていく過程が描かれています。タイトルの通り、家族やコミュニティを繋ぎ止めていた「絆」が、異文化の介入によって修復不可能に崩れていく悲劇がテーマとなっています。
アチェベがこの小説を書いた最大の目的の一つは、アフリカは西洋より劣った、野蛮な暗黒大陸ではなく、高度な法、宗教、詩的言語を持った文明社会であったと示すことでした。独自の裁判制度、収穫の儀式、洗練された諺など、外部から壊される前の社会がいかに完成されていたかが克明に描かれています。
他方で、無批判にアフリカの社会を描くのではなく、そもそも西洋的価値観の浸透も、伝統的な共同体に潜む矛盾に由来するもので、主人公の破滅も伝統的モラルに由来するものです。
伝統と変革のなかで
主人公オコンクウォの人生を支配しているのは、弱さ(女性的とされるもの)への極端な恐怖です。怠惰で借金まみれだった父ウノカのようになりたくないという一心で、彼は過剰なまでに強さ、攻撃性、成功に固執します。彼の強さは実は非常に脆く、感情を制御できない不安定なものです。この過剰な男性性が、結果として彼を孤立させ、破滅へと導く大きな要因となります。
イボ族の概念である「チ(個人に割り当てられた守護霊/運命)」が重要な役割を果たします。
「人が『然り』と言えば、その人の『チ』もまた『然り』と言う」という諺が作中に登場します。これは、努力すれば運命を変えられるという信念と、結局は運命(チ)に抗えないという諦念の間の葛藤を描いています。オコンクウォは必死に運命を切り拓こうとしますが、時代の大きなうねりには勝てませんでした。
物語世界
あらすじ
主人公オコンクウォは、怠け者で借金まみれだった父ウノカを反面教師として育ちました。彼は「弱さ」を極端に嫌い、努力の末にレスリングの勇者となり、多くのヤムイモの倉と3人の妻を持つ、村の成功者に上り詰めます。
ある日、隣村との紛争の「賠償」として、少年イケメフナが預けられます。オコンクウォは彼を実の息子のように可愛がりますが、ある時、村の神託によりイケメフナの殺害が命じられます。オコンクウォは自分が弱虫だと思われることを恐れ、自らの手で少年を斬り殺してしまいます。この事件が、彼の家庭と運命に暗い影を落とし始めます。
不運は続きます。村の葬儀の最中、オコンクウォの銃が暴発し、誤って村の若者を殺してしまいます。村の掟により、彼は7年間の追放刑に処され、母方の故郷ムバンタ村へ逃れます。
追放生活の間、ウムオフィアや近隣の村に白人の宣教師たちが現れます。彼らはキリスト教を広め、イボ族が忌むべきものとして捨てた双子を救うなど、伝統的な価値観を根底から揺さぶります。オコンクウォの長男ヌウォイェもまた、父の厳格さと残酷な伝統に疑問を抱き、キリスト教に改宗してしまいます。
7年の追放を終え、オコンクウォは再起をかけてウムオフィアに戻ります。しかし、かつての誇り高き戦士の村は、白人の教会、行政、裁判所によって支配され、跡形もなく変容していました。
村人たちは新しい秩序に順応し始めており、憤るオコンクウォは仲間と共に教会を焼き払います。その後、説得に来た白人の使者を、彼は怒りに任せてナタで切り捨てます。しかし、他の村人たちは彼に続こうとはせず、ただ困惑して立ち尽くしていました。
もはや村の絆はバラバラになり戦う意志を失ったと悟ったオコンクウォは、一人その場を去り、森の木で首を吊って自殺します。
自殺はイボ族の信仰では大地に対する大罪であり、聖なる体は仲間によって埋葬されることさえ許されません。かつての英雄は、白人の行政官から見ればアフリカの未開人に関する短い記述の一節に過ぎない存在として処理されて終わるのです。




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