始めに
クロード=シモン『ファルサロスの戦い』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
シモンの作家性
シモンにとって最も重要な影響を与えたのは、アメリカの小説家フォークナーです。過去と現在が渾然一体となった意識の流れ、句読点を排した長い文章、そしてミクロな視点からの歴史記述というテーマを引き継ぎました。
『失われた時を求めて』の作者プルーストも、シモンの血肉となっています。五感をきっかけに記憶がフラッシュバックする意識の流れを継承します。ジョイスの意識の流れや、神話的象徴の手法からも刺激があります。
神話的象徴の手法
『ファルサロスの戦い』においては、古代の書き手たちが直接的な参照点となっています。プルタルコス『対比列伝(英雄伝)』を古代の戦場の記述を引用・解体し、現代の記憶と衝突させるための素材としました。ルカヌス『内乱』の古典的な戦いの描写を、自分の体験した惨めな敗走と対比させました。
この小説には、紀元前48年のカエサル対ポンペイウスの「ファルサロスの戦い」と、語り手自身の体験(1940年の第二次世界大戦での敗走)という、二つの「戦い」が重なり合っています。過去の歴史的事件と現代の個人的な体験が、記憶の中で区別なく混ざり合います。どちらの戦いも凄惨な破壊として描かれ、栄光ある歴史叙述ではなく、生々しい肉体や事物の断片として提示されます。
パオロ=ウッチェロの絵画『サン・ロマーノの戦い』などのイメージが重要なモチーフとなり、静止した図像を執拗に描写することで物語を構築します。
語りの構造
語り手の中に浮かび上がる、複数の時間と場所が混ざり合った断片的な光景が、パズルのように組み合わさって展開します。
読者は、ある人物の目が見た断片的な光景(色彩、光、形)を追体験させられます。辞書的な定義や、言葉の響き(音)の類似性から次の場面が呼び出されるという構造を持っています。
あらかじめ決まったストーリーがあるのではなく、言葉が言葉を呼び、イメージがイメージを繋いでいくプロセスそのものが作品のテーマとなっています。
意識とは何か。意識と創作
本作は意識の流れと重なる手法が取られていますが、人間の「意識」とは、そもそもなんでしょうか。
現代の心の哲学では、意識や心というものの機能主義的、道具的定義がいろいろに考えられており、大まかに言ってそれは複数のモジュールの計算、表象の操作を統合し、シュミレーションから推論を立て環境に適応的な行動変容を促すツールであるとの見通しが立てられています。そこではインプットされたさまざまな表象を操作し、過去にインプットされた表象との関連性が発見されたり、環境の構造化にあたって認識が修正されたりしていきます。
本作における全体的なコンセプトにも、そのような意識の特性が伺えます。語りの主体は知覚から得た情報からマインドワンダリングを働かせ、主観的なタイムトラベルの中でさまざまな過去の記憶や知識の表象を統合しつつ、時間軸の中でそれを構造化し、「ファルサロスの戦い」と語り手の敗戦経験のカテゴリーレベルの類似性、共通性、連続性が発見されていきます。それを通じて過去の歴史が物語られ、対象の発見的理解と把握が可能になっています。
物語世界
あらすじ
物語は、以下の3つのシーンが、言葉の連想によって絶え間なく入れ替わります。
・古代(紀元前48年): カエサルとポンペイウスが激突した「ファルサロスの戦い」。歴史書(プルタルコスやルカヌス)の記述を通して、血なまぐさい戦場が再現されます。
・近代(1940年): 第二次世界大戦中、フランス軍の騎兵部隊がドイツ軍に惨敗し、壊滅していく様子。語り手自身のトラウマ的な記憶です。
・現代: 語り手がギリシャのファルサロスを訪れ、かつての古戦場を探し歩く姿。あるいは、部屋の中で地図や絵画、古い辞書を見ながら「書く」作業に没頭している姿。
作品は、意識の変容に合わせて3つのパートに分かれています。
・第1部「アキレスの走り(Achille courre)」: 映画のカット割りのように、古代の戦車、1940年の馬、ギリシャを走る列車などが高速で切り替わります。運動と速度のイメージが支配的です。
・第2部「語彙(Lexique)」: 「戦い」「女」「都市」といったキーワードに基づき、静止画のような描写が並びます。物語が言葉の辞書のように解体されていきます。
・第3部「O」: 「O」は観察者の眼の形、あるいは円環を表します。部屋に座っている男の視点から、再びすべてのイメージが一つに収束し、また拡散していく様子が描かれます。



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