はじめに
太宰「パンドラの匣」解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
モデル
本作品は、太宰の読者であった木村庄助の病床日記がもとになっています。
1940年8月より太宰と頻りに文通していた木村庄助は、1943年5月13日、病苦のため22歳で自殺します。同年7月11日、遺言により日記全12冊が太宰宛てに送付され、日記は京都の丸善に製本させたもので、「健康道場にて」と記されていました。
1943年10月末、太宰は木村の日記をもとに「雲雀の声」を書き上げるものの、検閲があったり戦災のため発行間際の本が全焼してしまったりして出版が先延ばしになります。本作品はその時残った校正刷をもとに、1945年10月22日から連載が始まったものです。
モデルとの相違
先述の通り、木村庄助は戦前に既に自殺し亡くなっています。なので、本作のひばりはモデルとはだいぶ異なっています。
語り手のひばりは中学校を卒業してすぐに肺炎になり高等学校に通うのを諦め、それに関わらず家で畑仕事を行います。結核で喀血しても親にその事を黙ったまま畑仕事を、死んでもいいと、やけになってしていました。そんな時に終戦のラジオを聞いたひばりは新しい世界に踏み入れたように感じ、気取りが無くなり親に喀血した事を打ち明け自分は新しい時代に生きる「新しい男」となることを決意します。新しい時代では気取りをなくし、単純にあろうと、ひばりは健康道場に入ります。
つまり本作は戦前に亡くなった木村をモデルに、戦後、新しい男として素直に生きようとするひばりの姿を描かものとなっています。
語りの構造
この小説は、「健康道場」と称する或ある療養所で病いと闘っている二十歳の男の子ひばりから、その親友に宛あてた手紙の形式になっています。
ひばりは、健康道場に入り、マア坊と知り合い、看護師として働く竹さんに惹かれます。
タイトルの意味
タイトルは神話のパンドラの匣に由来します。
あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪慾、猜疑、陰険、飢餓、憎悪ぞうおなど、あらゆる不吉の虫が這はい出し、空を覆おおってぶんぶん飛び廻まわり、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅すみに、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話です。
ひばりは、病と苦悩のなか、人間には絶望という事はあり得ないことを悟ります。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事があります。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだと悟ります。
本作はそんな希望を見いだしたひばりが、戦後、「新しい男」としての主体的な生を確立しようとするさまを描きます。
物語世界
あらすじ
ひばりは中学校を卒業してすぐに肺炎になり高等学校に通うのを諦め、それに関わらず家で畑仕事を行います。結核で喀血しても親にその事を黙ったまま畑仕事を、死んでもいいと、やけになってしていました。
そんな時に終戦のラジオを聞いたひばりは新しい世界に踏み入れたように感じ、気取りが無くなり親に喀血した事を打ち明け自分は新しい時代に生きる「新しい男」となることを決意します。
戦時中は狡猾な人間が多く存在し、他人を非国民とけなしたり、気取った評論家が多かったものの、新しい時代では気取りをなくし、単純にあろうと、ひばりは健康道場に入ります。
ひばりは、健康道場に入り、マア坊と知り合い、看護師として働く竹さんに惹かれます。
竹さんついてはひばりがマア坊よりも好意を抱いていたのですが親友への手紙では竹さんの事を酷く言っています。しかしそんな竹さんですが病院の場長さんと結婚することになります。
衝撃を受けますが、マア坊からの慰めもあり竹さんの幸せを願うようになります。
その後、病院で花宵先生の講話を聞きます。”献身とは、ただ、やたらに絶望的な感傷でわが身を殺す事では決してない。大違いである。献身とは、わが身を、最も華やかに永遠に生かす事である。人間は、この純粋の献身に依ってのみ不滅である。しかし献身には、何の身支度も要らない。今日ただいま、このままの姿で、いっさいを捧ささげたてまつるべきである。”と。
これにひばりは、「新しい男」である看板をおろします。献身のために取り繕うのをやめ、これからは向日性の蔓のように何も言わず、ただ陽がある方へまっすぐ進んでいこうと決意します。




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