始めに
森鴎外『阿部一族』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
高踏派の作家
森鴎外は、高踏派の作家とされています。
これは“l’école parnassienne”の,上田敏の訳語で『現代高踏詩集』(Le Parnasse contemporain)の詩人のことです。芸術のための芸術たる芸術至上主義を唱道したゴーティエとルコント・ド・リールの下に詩人が集い、この詩華集が刊行されたのでした。
鴎外もこうした詩人の翻訳を手がけて影響されたため、高踏派と呼ばれます。
高踏派は傾向としてロマン主義、象徴主義の特徴があり、主知主義的な理想主義をテイストとしています。
本作はさながら象徴主義文学のような、武士道のグランギニョルな実践を描きます。
『阿部茶事談』と史実
寛永20年に阿部権兵衛が先代・忠利の法事において髻を切り投獄され、このため阿部一族が屋敷に立てこもって追手と闘い討ち取られ、権兵衛も縛り首にされた内容は、概ね史実とされます。しかし発端の阿部弥一右衛門は忠利死去直後に殉死していて、忠利から殉死を許可されないために命を惜しんでいると見られたというのは、参照した『阿部茶事談』の脚色に由来します。
全体的に『阿部茶事談』の内容をそのまま小説にした感じで、そのために史実と結構な相違があるとされます。
作品の背景
発表前年の大正元年、明治天皇崩御に乃木希典陸軍大将が殉死し、それに対する言説が氾濫しました。漱石『こころ』もそうした背景を共有するので有名です。
本作はとはいえ、鴎外自身の殉死に対するアンサーとしての作品いうよりは、時代の言説を踏まえて『阿部茶事談』を緻密に小説化した感じの内容です。
鴎外は乃木希典と親しかったので、『興津弥五右衛門の遺書』をものして、殉死を肯定的に、義理と責任の実践として描きました。
武士の世界の不条理
本作品は、内容としては武士の世界の法や規範の教条主義の生む、不条理さ、理不尽さを描いています。
江戸時代の武士社会の法の下、理不尽な待遇が重なる中で阿部一族は没落します。阿部弥一右衛門は主君から殉死を許されず、なのに周囲からの侮蔑の眼差しにより切腹せざるを得なくなり、今度はその切腹が藩主の遺言に背いたとされて阿部一族が家格を落とされ、藩からの恥辱に報復して反乱し、滅ぼされてしまいます。
全体的に組織や共同体の規範の教条主義がもたらす悲劇になっていて、軍医や官僚として組織の重役を担った鴎外の心情が伺えます。
物語世界
あらすじ
寛永18年、肥後藩主細川忠利の病状が悪化し、側近は殉死を願い出ます。老臣の阿部弥一右衛門もまた殉死を乞うものの、謹厳な彼を嫌う忠利は許可は出さず、そのまま忠利は死去します。
旧臣たちはつぎつぎ殉死するものの、弥一右衛門は以前どおりにします。しかし家中から命を惜しんでいると批判され、弥一右衛門は一族を集め、彼らの面前で切腹します。
しかし、今度は忠利の遺命に背いたことが問題になり、阿部家は藩から殉死者の遺族として扱われず家格を落とします。長男の権兵衛は、忠利の一周忌法要の席で髻を切って捕縛され、縛り首になります。
藩からの恥辱に対して、一族は屋敷に立てこもり、藩の討手と戦って全滅します。
参考文献
・小堀桂一郎『森鴎外: 日本はまだ普請中だ』




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