始めに
アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
タブッキの作家性
タブッキにとってペソアは、単なる影響を受けた作家を超えた存在です。学生時代にパリの露店でペソアの詩集に出会ったことが、彼の作家人生の始まりでした。ペソアが複数の架空の人格を使い分けて執筆した手法に深く共鳴し、タブッキもまた自分の中にいる他者をテーマに据えました。ピランデッロの影響も色濃く見られます。ピランデッロ的な実存の不安を継承します。
時間の概念、記憶の断片から過去を再構築する手法において、プルーストのモダニズムを継承します。ボードレールにおける都市の孤独や、デカダンスの雰囲気は、タブッキに受け継がれます。
またマシャード=デ=アシスの皮肉とユーモア、そして死者との対話といった要素からも刺激がまりました。
ほかにフェデリコ=フェリーニなどからも影響があります。
アイデンティティを巡る旅
主人公はシャヴィエルという他者を追いかけますが、旅が進むにつれて、彼が探しているのはかつての自分やあり得たかもしれない自分ではないかという疑念が浮かび上がります。シャヴィエルの足跡を辿ることは、自分自身の影を追いかける行為に変貌します。
インドという異質な空間の中で、西洋的な個の概念が溶け出し、自分が誰であるかという境界線が曖昧になっていきます。
タイトルの「夜想曲」が示す通り、この物語を支配しているのは太陽の下の明晰な論理ではなく、暗闇の中の曖昧さです。シャヴィエルは最後まで姿を現しません。しかし、彼がいないという事実そのものが、強烈な存在感を持って主人公に迫ります。目的地に辿り着くことよりも、その途上で出会う奇妙な人々や断片的なエピソードが重要視されます。
物語世界
あらすじ
タブッキにとってのインドは、単なる舞台設定ではなく、西洋的な合理主義が通用しない巨大な迷宮として描かれています。
語り手である「私」は、行方不明になった友人シャヴィエルを捜すためにインドへ降り立ちます。シャヴィエルはかつてポルトガルの上流階級に身を置いていましたが、ある事情からインドへ渡り、消息を絶っていました。
「私」はまず、ボンベイのうらぶれたホテルや売春宿、病院を訪ね歩き、彼が残した微かな足跡を辿ります。私は列車やバスを乗り継ぎ、マドラスからゴアへとインド亜大陸を移動します。その道中で、さまざまな人物に出会います。重病患者がひしめく病院の医師、異形の予言者、社交界に身を置く謎めいた女性、バスで乗り合わせた奇妙な乗客などです。彼らとの会話から、シャヴィエルの人物像が浮かび上がってくるかと思いきや、逆にその輪郭はぼやけ、代わりに私自身の輪郭までが揺らぎ始めます。
私は、シャヴィエルを追ってゴアの高級ホテルに辿り着きます。そこで彼は、シャヴィエルを知っていると思われる女性、クリスティーヌに出会います。彼女との会話を通じて、私が探しているシャヴィエルという人物が、実は私自身の鏡像、あるいは別の側面であるという予感を持たされます。
私は、ホテルのテラスでシャヴィエルが現れるのを待ちますが、そこで奇妙な感覚に陥ります。自分がシャヴィエルを待っているのか。あるいは、自分こそが誰かに探されているシャヴィエルそのものなのではないか。
ついにシャヴィエルらしき人物が姿を現しますが、私は彼に声をかけることをしません。私は彼をあえて見逃し、暗闇の中に留まることを選びます。結局、二人が再会して言葉を交わす場面は描かれません。私は自分自身という亡霊を追いかける旅を終わらせないまま、夜の中に溶け込んでいきます。




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