始めに
ラシーヌ『アンドロマク』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ラシーヌの作家性
ラシーヌの師は、古代ギリシャの詩人たちです。エウリピデスはラシーヌが最も深く傾倒した作家です。『アンドロマック』や『フェードル』など、彼の代表作の多くがエウリピデスの劇をモデルにしています。劇の構成や緊密なプロット、そして運命の不可避性という点において、ソポクレスの劇作術を理想としていました。
ラシーヌは幼くして孤児となり、厳格なカトリックの一派であるジャンセニスムの拠点、ポール=ロワイヤルで教育を受けました。師たちの教えである人間は堕落しており、神の恩寵なしには救われないという決定論的な人間観は、ラシーヌの描く欲望に抗えず破滅していく登場人物に色濃く反映されています。
当時のフランス演劇界の巨匠たちからも、対抗心を含めた強い影響を受けています。コルネイユは当時の演劇界の第一人者です。ラシーヌは、コルネイユの意志の力で困難を乗り越える英雄というスタイルに対し、情熱に負けて自滅する等身大の人間を描くことで、独自の地位を確立しようとしました。
セネカはローマの哲学者・劇作家で、残酷で情熱的な悲劇の文体も、ラシーヌの激しい感情表現の参考になっています。
三角関係
この劇の構造を語る上で欠かせないのが、誰もが一方通行の想いを抱えている愛の連鎖です。この連鎖が、誰一人として幸せになれない地獄のような状況を作り出しています。オレストは、エルミオーヌを愛し、エルミオーヌはピリュスを愛し、ピリュスはアンドロマクを愛し、アンドロマクは亡き夫ヘクトールを愛しています。
ラシーヌの描く愛は、ロマンチックなものではなく、病や暴力に近いものです。ピリュスは王としての義務を捨ててまで捕虜であるアンドロマックに執着し、エルミオーヌは裏切られたプライドから殺意を抱きます。登場人物たちは、自分の行動が破滅を招くと分かっていながら、感情を抑えることができません。
アンドロマクの愛
狂気に走る他の3人と対照的なのがアンドロマクです。彼女だけが自分勝手な愛ではなく、息子への無償の愛と夫への忠義のために行動します。結果として、血まみれの結末の中で生き残り、尊厳を保つのは彼女一人だけです。
舞台はトロイア戦争の終結後ですが、登場人物たちは全員、過去の亡霊に縛られています。アンドロマクは亡き夫ヘクトールへの貞節を守るか、それとも宿敵ピリュスと結婚して息子アスティアナクスの命を救うかになやみます。
ギリシャ軍はトロイアの復興を恐れ、幼いアスティアナクスの処刑を求めます。終わったはずの戦争が、次世代の命を奪おうとする運命の残酷さが描かれています。
物語世界
あらすじ
トロイア戦争終結後。エピール国の王ピリュスは、虜囚であるトロイアの亡き英雄ヘクトールの妻アンドロマクに恋をしています。
そこへ、ギリシャ連合軍の使節としてオレストがやってきます。彼の目的は2つ。トロイアの再興を恐れるギリシャ勢の総意としてヘクトールの息子アスティアナクスを引き渡し処刑することと、自分が密かに愛しているエルミオーヌ(ピリュスの婚約者)を連れ帰ることです。
ピリュスはこれを利用し、自分を拒み続けるアンドロマクに二択を迫ります。自分と結婚して王妃になるか、それとも息子をギリシャ人に引き渡して殺させるかです。
息子を救いたいものの、亡き夫への貞節も守りたいアンドロマックは絶望的な選択を迫られます。一方、婚約者であるピリュスに無視され続けているエルミオーヌは、嫉妬と怒りで狂わんばかりになります。
追い詰められたアンドロマクは、計略を立てて結婚を承諾します。それは、結婚式の祭壇でピリュスに息子の安全を誓わせた直後、その場で自害するというものでした。これならば、息子の命も、夫への貞節も守れると考えたのです。
ピリュスがアンドロマクとの結婚を宣言したことで、見捨てられたエルミオーヌの怒りは頂点に達します。彼女は自分を愛するオレストを呼び、「私への愛の証に、結婚式でピリュスを殺して」と命じます。
オレストは悩み抜いた末、部下とともに祭壇でピリュスを暗殺します。
ピリュス殺害の報をエルミオーヌに伝え、彼女を連れ去ろうとしたオレスト。しかし、いざピリュスが死んだと知ると、エルミオーヌは一転してオレストを激しく罵倒します。「なぜ私の言葉を真に受けたのか。私は彼を愛していたのに。」と。
エルミオーヌは絶望してピリュスの遺体の上で自害します。それを知ったオレストはあまりの衝撃に精神を病み、発狂してしまいます。
皮肉にも、生き残って王位を継承し、息子を守り抜いたのは、復讐に加わらずにただ夫と息子を想い続けたアンドロマク一人だけでした。




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