始めに
フローベール『ボヴァリー夫人』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
ロマン主義、古典主義、ルネサンス文学の影響
フローベールはロマン主義や古典主義、ルネサンス文学に傾倒しつつも、自身はそこから写実主義を展開したと説明されます。オースティン(『傲慢と偏見』)がリチャードソンの影響から風刺作品を展開したのと似ているでしょうか。
とはいえロマン主義(ゲーテ[『ファウスト』『若きウェルテルの悩み』)]、ユゴー[『レ・ミゼラブル』]、シェイクスピア)、古典主義(ヴォルテール)ルネサンス文学(ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』)のリアリズム描写や主題はフローベールに継承されていますし、それが公共圏へのコミットメントの中での自己実現を巡る作品であるという点ではそうした作品からの影響が濃厚です。また反俗的なモチーフも共通です。
ロマン主義の要諦とは個人や個性の尊重、個人の主体性の発揮の主題です。フローベールはロマン主義から影響を受けつつ、ロマン主義的な個人の公共圏へのコミットメントと自己実現を主題にしていきました。
生の哲学。ゲーテ『ファウスト』
本作は社会の中での自己実現を巡るドラマになっている点において、ゲーテ『ファウスト』の影響を伺わせます。
ゲーテ『ファウスト』では、学業と人生に絶望したファウストが主人公になっていて、メフィストフェレスとの駆け引きの果てに、人生の意味を、永遠に続いてほしい瞬間を、ようやく見出します。それは他人のために尽くし、他人とともに歩もうとする希望の瞬間でした。そしてそのあとで愛しい女性の祈りでファウストの魂は救済されます。
本作ではむしろその逆で、人生の意味やこう有りたい理想の自分に拘泥するあまり自分も周囲も破滅させていくボヴァリー夫人が描かれていきます。ボヴァリー夫人は修道院出で、夢見がちで空想に浸るのが好きだったので、すぐに結婚に幻滅して、ロマンスにあこがれて不倫をします。最後まで自分を見つめ直すことができないまま誇大妄想を抱えて破滅していくボヴァリー夫人はファウストとは対照的です。
ボヴァリー夫人は自身の姦通で夫をも死に至らしめてしまいます。
代表作『感情教育』でも、青春時代に立身出世にこだわるあまり、本当に大切にしたかったものや時間を忘れてしまって、若さを失ったあとでそれに対する後悔が描かれるのでした。
ブルジョワ社会と野心
本作はフランス革命以後の、封建制度が崩壊したブルジョア社会における女性の野心を描く作品です。その点ではスタンダール『赤と黒』、フローベル『感情教育』やバルザック「谷間の百合」と重なります。
当時のフランスでは身分の差が緩和されたことで、貧しい生まれであるものや王侯貴族でないものでも、実力で自己実現の機会が得られるようになりました。フローベールもそんな時代に、芸術家としての自己実現に悩んだのでした。
本作はそんな作家自身の苦悩が背景にある作品になっていて、ボヴァリー夫人的な苦悩は今日もあると感じます。
俗物の強かさとコキュの破滅
本作では、ブルジョワジー社会の到来が背景になっており、そのなかにおける俗物の強かさを描いています。それを代表するのが薬剤師のオメーで、ボヴァリー夫人とは対象的に自分の理想に悩んだり世俗の規範に背いたりせず、黙々と社会のモラルや価値観に迎合するかたちで精進し、立身出世を果たします。
また一方でもう一人の俗物たるシャルルは、妻の不貞と借金にも気が付かぬまま破滅していく無様な寝取られ男=コキュとして設定されています。不適切な社交のありかたから風刺の対象とされる寝取られ男=コキュは、風習喜劇などに典型的な表象で、本作もそのような寝取られ男を描きます。
物語世界
あらすじ
ルーアンの年少学校に田舎の少年が転入してきます。シャルル=ボヴァリーという名で、退職した軍医補の息子でした。まじめな勉強ぶりで中程度の成績を保ち、親の希望で医学校に進み、トストの開業医となります。
シャルルは両親の勧めるまま、年上の未亡人エロイーズと結婚します。しかし、結婚後には彼女が自分の資産について嘘をついていたことが判明し、舅と姑に糾弾され、まもなく心労がもとで亡くなります。独身者となったシャルルは、農夫ルオーと親しくなり、その一人娘エマに惹かれて彼女に求婚します。承諾が得られ、新たな結婚生活が始まります。
エマは修道院出の夢見がちで空想に浸るのが好きだったので、結婚に幻滅します。その思いは、ある日夫妻で侯爵家の舞踏会に招かれたことで、いっそう強まります。
エマの変調を場所のせいだと考えたシャルルは、トストからヨンヴィル=ラベーという村に移り住みます。ラベーでは俗物的な薬剤師オメー、その家の下宿人で公証人書記の青年レオンと交流します。
エマはレオンに惹かれ、レオンもエマに憧れるものの、レオンは法律の勉強のためパリへ向かいます。幻滅したエマは、退屈を感じ始めます。そんな中、資産家の田舎紳士ロドルフが下男に瀉血を施すため、シャルルを訪ねます。ロドルフは、やがてエマに迫ります。エマはロドルフの世慣れた態度に引かれ、誘われた乗馬についていって森の中で体を許します。それから逢い引きが始まり、エマは熱心な恋文をロドルフに送っては、恋愛を味わいます。一方、シャルルはオメーにそそのかされるまま足の外科手術に手を出して失敗し、患者である宿屋の下男の足を切断します。
シャルルにいっそうの幻滅したエマは、義足を用立てた商人ルウルーにも気を許し、彼に勧められるままぜいたく品をつけで買うことが癖になり、やがてロドルフに駆け落ちを迫ります。しかし、ロドルフは駆け落ちの約束を守らず、エマに別れの手紙を書いて馬車で姿を消します。エマはヒステリックになり、信仰に救いを求めるようになります。そうした中、エマはシャルルとルーアンへ観劇、レオンと3年ぶりに再会します。一方で浪費による借金が嵩みます。
エマはシャルルに知られないように地所を売るなどするも、ついに裁判所から差し押さえの通知が来ます。レオン、ロドルフからも金を得られず、絶望の末に薬剤師の家に忍び込んで砒素を飲んでしまったエマは衰弱します。エマは狂ったように笑い、息絶ます。
こうして、シャルルは家具類をあらかた差し押さえられ多額の借金を抱え、それでもエマの不貞に気付いておらず、混乱します。その後、ついにエマの机から不貞の証拠となる手紙を見つけます。一方、薬剤師のオメーは商売が成功、子供も順調で幸福な生活を送っています。そしてレジオン・ドヌール勲章を貰い受けます。
シャルルが庭先でエマの遺髪を握りしめたまま急死し、二人の娘ベルタは遠い親戚に引き取られて工場へ働きに出されます。
参考文献
・野崎歓『フランス文学と愛』




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