始めに
ジュディ=バドニッツ「来訪者」解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
バドニッツの作家性
バドニッツは、自身のルーツに関連して、現実と幻想の境界が曖昧な東欧文学に強く惹かれると述べています。カフカは不条理と悪夢的な状況の描き方において、彼女のスタイルと最も親和性が高い一人です。イサーク・バーベリの簡潔で鋭い文体や、残酷さと美しさが同居する作風も影響を与えています。ゴーゴリ「鼻」に代表されるような、グロテスクで奇妙な風刺感覚を共有しています。ブルーノ・シュルツは濃密なイメージと変容の物語、そして幻想的な世界観がその短編に影を落としています。
東欧以外の作家でも、物語の構成や現実の崩し方において以下の作家たちを高く評価しています。アイザック・バシェヴィス・シンガーの初期の人外や悪魔が登場する寓話的な物語に強い影響を受けています。ホセ・サラマーゴの寓話的な設定を用いて社会や人間性をあぶり出す手法を好んでいます。ボフミル・フラバルはチェコの作家で、日常の中に滑稽さと悲哀を織り交ぜる手法に言及しています。ナボコフ、チェーホフ、ブルガーコフなどロシア文学の巨匠たちも、彼女の文体や人間観察の基礎として挙げられています。
電話のむこう
この物語の根幹は、電話の向こう側にいる両親と、部屋で待つ娘との断絶です。携帯電話で頻繁に連絡を取り合っているにもかかわらず、両親は物理的にも精神的にも決して目的地にたどり着けません。状況を説明しようとすればするほど、両親の言葉は現実離れしていき、最終的には娘にとって理解不能なノイズへと変貌します。
両親が道に迷い、景色が変容していく様子は、認知の衰えや老いに対する冷徹なメタファーとして機能しています。以前は知っていたはずの道が、雪や霧、あるいは奇妙な地形へと変わっていく描写は、かつて頼もしかった存在が、自分たちの理解できない異界へと去っていく恐怖を象徴しています。指示を出す娘と、パニックに陥る両親。しかし、いくら導こうとしても救い出せない無力感が、現代的な親子関係の悲劇を際立たせています。
バドニッツは、最も親しいはずの存在が異物へと変わる瞬間を執拗に描きます。電話越しの声が次第に親のものではないように聞こえたり、親が語る車内の状況が物理的にあり得ないものになったりする演出は、親密さが反転して恐怖に変わるアンキャニーな感覚を読者に与えます。最終的に、その来訪者たちが本当に自分の親なのか、あるいは何が家に向かってきているのかという疑念が、読後感として重く残ります。
物語世界
あらすじ
雪の降る日、一人暮らしの娘は、車でこちらに向かっている両親を家で待っています。両親とは携帯電話で頻繁に連絡を取り合っており、彼らは「もうすぐ着く」「いま角を曲がったところだ」と報告してきます。
しかし、いくら時間が経過しても両親は到着しません。電話の向こうで両親が説明する周囲の景色は、娘の住む場所とは似ても似つかない、奇妙で荒涼とした風景へと変わっていきます。娘は必死に道順を教えようとしますが、両親の語る状況は次第に物理的な整合性を失っていきます。
電話越しに聞こえる両親の会話は、パニックと混乱に満ちていきます。車内に雪が降り積もっていると言い出したり、見たこともない巨大な建造物や奇妙な生物が道を塞いでいると訴えたりします。娘にとって、かつて知っていた理性的で頼もしい両親の声は、理解不能な異界からの通信のように変質していきます。
ついに両親は家の前に着いたと言います。しかし、娘が窓の外を見ても、そこには静まり返った雪景色があるだけで、両親の車も人影もありません。それでも電話の向こうの両親は「いまドアの前に立っている」「鍵を開けてくれ」と叫び、実際に家のドアを激しく叩く音が響き渡ります。
娘は、ドアの外にいるのが本当に自分の知っている両親なのか、あるいは両親の声をした何かなのかという疑念と恐怖に突き動かされます。受話器から聞こえる悲鳴に近い懇願と、目の前のドアを叩く音がします。




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