始めに
シリトー『土曜の夜と日曜の朝 』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
シリトーの作家性
ロバート=グレーヴスはシリトーにとって最も直接的で重要な助言者です。 シリトーがマジョルカ島に滞在していた際、隣人だったグレーヴスに出会いました。グレーヴスはシリトーの才能を見抜き、故郷であるノッティンガムについて書くべきだと助言し、『土曜の夜と日曜の朝』が生まれる大きな転機となりました。
ロレンスは同じノッティンガム出身の労働者階級の作家として、意識せざるを得ない存在でした。またシリトーはロシア文学、特にドストエフスキーの深い心理描写に強い関心を持っていました。社会から疎外された人間や、反抗的な個人の内面を掘り下げる手法には、ドストエフスキー的な実存主義や孤立感の影が見て取れます。
社会的な不公正や、抑圧された人々への共感という点で、ユゴーの『レ・ミゼラブル』などの作品を高く評価していました。
幼少期に親しんだ聖書の言葉の響きやリズムは、散文の力強さに寄与しています。また少年時代に読んだサー=ウォルター=スコットやライダー=ハガードなどの物語が、彼の物語構成の基礎となりました。
タイトルの意味
主人公アーサー=シートンの生き方は、「Don’t let the bastards grind you down」という言葉に集約されます。政府、警察、工場の上司、さらには伝統的な道徳観まで、自分を縛ろうとするあらゆる権威を敵と見なします。表面的には工場の歯車として働きながら、内心では彼らを冷笑し、自分の精神的な自由を守ろうとする孤独な戦いが描かれています。
タイトルの通り、この物語は平日の過酷な労働と週末の爆発的な解放の対比で構成されています。土曜の夜は工場での単調な1週間の報酬として、酒、女、喧嘩に溺れる刹那的な自由の象徴です。日曜の朝は酔いから覚め、再び月曜日からの労働という現実に直面する虚無感と妥協の象徴です。このサイクルは、当時の労働者階級が陥っていた出口のないループを暗示しています。
イギリスの矛盾
1950年代、イギリスは福祉国家へと転換し、労働者の生活水準は向上しました。しかし、そこには新たな問題が生じていました。腹は満たされても、社会の底辺に固定されているという感覚は消えません。アーサーが感じる怒りは、具体的な貧困に対してではなく、魂を摩耗させる社会システムに向けられています。
アーサーの女性関係は、単なる放蕩ではなく、家庭という檻への抵抗でもあります。最終的に彼は結婚という形で日曜の朝の平穏を受け入れざるを得なくなりますが、それが成熟なのか敗北なのかという点は、読者に委ねられる重いテーマです。
物語世界
あらすじ
物語の舞台は1950年代後半、イギリスの工業都市ノッティンガムです。主人公のアーサー=シートンは、自転車工場で働く21歳の青年です。彼は腕の良い旋盤工で、並の労働者より稼いでいますが、その魂は体制への憎しみで燃えています。
工場では機械のように働き、心の中では上司や政府を罵倒しながら、いかに効率よくサボり、自分の自由を確保するかを考えています。
給料を手にすると、高級なスーツに身を包み、パブで限界まで酒を飲み、喧嘩に明け暮れます。彼は仕事仲間の妻であるブレンダと不倫しており、さらにその妹のウィニー(人妻)とも関係を持つという、非常に危うい生活を送っています。
そんなアーサーの無敵な日常に、徐々に暗雲が立ち込めます。不倫相手のブレンダがアーサーの子を妊娠してしまいます。二人は熱い風呂に入ったり、大量のジンを飲んだりして堕胎を試みますが、これが原因で二人の関係はギクシャクし始めます。
ついに不倫が露見し、兵士であるウィニーの夫とその仲間に待ち伏せされ、アーサーは激しい暴行を受けて大怪我を負います。
数日間の療養を経て、アーサーの心境に変化が訪れます。彼は若くて独身の女性、ドリーンと出会います。これまでの人妻たちとのスリリングな関係とは異なり、彼女との交際は結婚という社会的なレールを意識させるものでした。
物語の最後、アーサーは川で釣りをしながら、自分の人生を振り返ります。かつてあんなに嫌っていた結婚して落ち着くという生活を自分が受け入れようとしていることに気づきます。
しかし、彼は完全に牙を抜かれたわけではありません。結婚しても、俺の中の反逆心までは飼いならせないぞと心の中で毒づきながら、新しい人生の一歩を踏み出すところで物語は幕を閉じます。




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