はじめに
深沢七郎『東京のプリンスたち』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
アメリカ文化、谷崎、モダン趣味
深沢七郎の代表作は『楢山節考』で、国内では木下恵介版、今村昌平版の映画化もあります。深沢七郎は愛好した谷崎潤一郎の『蘆刈』『春琴抄』『盲目物語』のような口語的語り口やモダニズム、またハリウッド映画や米文学、ロックンロールなど、アメリカ文化から顕著な影響を受けています。
深沢七郎『楢山節考』は、さながらフォークナー(『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』)のような、アメリカ文学を代表するジャンルである南部ゴシックの日本版でした。南部ゴシックはゴシック文学のロケーションをアメリカ南部に移したジャンルで、これはホーソン(『緋文字』)、メルヴィル、トウェイン、ポー(『アッシャー家の崩壊』)などのアメリカのゴシック文脈を先駆とします。南部という保守的風土のなかでの悲劇を描くジャンルですが、本作も同様です。封建的な土地柄における因習の中での実践の悲喜劇を描きます。深沢七郎『楢山節考』『笛吹川』もそれを前近代の日本に舞台を移したものになっております。
また深沢七郎『楢山節考』の卓越した部分は『伊勢物語』のような歌物語の伝統の上で、フォークロックやアメリカ文化、文学のパロディを展開したということで、モダン趣味とそのような豊かな語りの手法が人の心を捉えたのでした。
本作もハリウッドやフランス映画などのモダン文化の影響を顕著に感じさせる内容になっています。
焦点化の実験。異質物語世界の語り手
本作においても焦点化の実験が展開されており、異質物語世界の語り手を設定しつつも、複数の人物に焦点化人物を交代しながら物語が描かれます。この辺りはシュニッツラー『輪舞』などの影響を感じさせ、洗練されたスタイルで若者の姿が描かれます。
三島由紀夫『鏡子の家』などと共通するデザインです。
洗練されたモダン趣味のスタイル
深沢七郎は似たようなモードを背負った石原慎太郎の作品などと比べても、ずっとスタイルとして洗練されています。
片岡義男と並んで、器用でスタイリッシュなモダニストとしての才覚を遺憾無く発揮しています。
物語世界
あらすじ
高校生の秋山洋介、田中正夫、伊藤常雄、山崎登、渡辺公次、工員の佐藤は、エルヴィス=プレスリーが大好きで音楽喫茶に出入りする若者です。秋山洋介は授業中、居眠りをし元帥と呼ばれる数学教師に職員室に呼ばれます。元帥は以前洋介が愚連隊にからまれ喧嘩したことを蒸し返すので、洋介はいらだちます。洋介は怒りで膝がふるえ、どうせなら思いっきりゆすってやれと洋介は足を激しくゆすります。すると頭の中にエルヴィスの「ベビー=アイ=ドント=ケア」が流れ、教師を睨みながらリズムを刻みます。頭を殴られた洋介は、元帥を殴り返しながら、学校を止めようと考えます。洋介はその後、運送屋で働きます。
伊藤常雄は学校へいくのは嫌いですが、母親の手前、渋々通っています。
山崎登は、工員の佐藤が未亡人と交際し小遣い稼ぎをしているのを聞いて自分もやることにし、その金を見越して欲しかった靴を先に買います。渡辺公次は、自営業の父親が金が入って機嫌がいいために小遣いがもらえたので、遊びにいきます。
田中正夫はテンコとのデート代を母親から貰い、映画を見るも退屈し途中で出ます。正夫は性欲からテンコを休憩旅館に連れていくも、テンコはいやがります。そのとき階下のラジオからエルヴィスの「マネー=ハネー」が流れてます。正夫はリズムに乗って踊るうちに気分が爽快になり、性欲の重苦しさから解放され、テンコとそこを出て音楽喫茶へ行きます。



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