始めに
深沢『東北の神武たち』解説あらすじをかいていきます。
語りの構造、背景知識
アメリカ文化と谷崎潤一郎
深沢七郎は愛好した谷崎潤一郎の『蘆刈』『春琴抄』『盲目物語』のような口語的語り口やモダニズム、またハリウッド映画や米文学、ロックンロールなど、アメリカ文化から顕著な影響を受けています。
本作も谷崎の文学や米文学トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』のような豊かな口語的語りが展開され、また米文学を代表するジャンルである南部ゴシックやゴシック文学の土壌の上にそれを展開しています。
アメリカのゴシック文学と南部ゴシック
本作はフォークナー(『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』)のようなアメリカ文学を代表するジャンルである南部ゴシックやゴシック文学の日本版のような内容です。
南部ゴシックはゴシック文学のロケーションをアメリカ南部に移したジャンルで、これはホーソン(『緋文字』)、メルヴィル、トウェイン、ポー(『アッシャー家の崩壊』)などのアメリカのゴシック文脈を先駆とします。南部という保守的風土のなかでの悲劇を描くジャンルですが、本作も同様です。封建的な土地柄における因習の中での実践の悲喜劇を描きます。本作や『笛吹川』もそれを前近代の日本に舞台を移したものになっております。
タイトルの意味
東北の貧しい村が舞台です。狭い田畑は長男が継ぎ、次、三男は飼殺しのヤッコと呼ばれてボロを着せられ、嫁ももらえず、髯を剃ることも禁じられ、ただ働かされます。髪も髯も伸び放題で神武天皇のようであるため、ズンムとも呼ばれます。これがタイトルのゆえんです。
秋に三角屋敷の父っさん久吉が死んだ時、女房のおえいに遺言します。かつて久吉の父は久吉の妹をはらませたズンムを叩き殺していて、父も久吉も苦しい死に方をするのはそのズンムの祟りだから、おえいは罪亡しに村のズンム達を一晩ずつ花婿にしろと言うのです。
二十二軒の村に十数人いるヤッコのうち一番馬鹿にされ嫌われているのは利助ズンムでした。息は悪臭を放ち、まともに話もできないありさまだからです。「くされ」と呼ばれました。
利助は結局おえいからも敬遠され、絶望するなかでおかね婆さんから、山の向うの娘っ子だけの村の話をされます。この話を受けて山を越えてそこへ向かおうとする利助の姿を描いて物語を締めくくります。
全体的に田舎の因習や閉塞感を描く内容ですが、このようにラストは人間の愛嬌と生のヒューマニズムにて締めくくられます。
物語世界
あらすじ
東北の貧しい村。狭い田畑は長男が継ぎ、次、三男は飼殺しのヤッコと呼ばれてボロを着せられ、嫁ももらえず、髯を剃ることも禁じられ、ただ働かされます。髪も髯も伸び放題で神武天皇のようであるため、ズンムとも呼ばれます。
二十二軒の村に十数人いるヤッコのうち一番馬鹿にされ嫌われているのは利助ズンムでした。息は悪臭を放ち、まともに話もできないありさまだからです。「くされ」と呼ばれました。
秋に三角屋敷の父っさん久吉が死んだ時、女房のおえいに遺言します。かつて久吉の父は久吉の妹をはらませたズンムを叩き殺していて、父も久吉も苦しい死に方をするのはそのズンムの祟りだから、おえいは罪亡しに村のズンム達を一晩ずつ花婿にしろと言うのです。
おえいは早速それを実行します。利助ズンムも期待しますが、おえいはなかなか迎えに来ません。いつも彼の家の前を素通りするのでした。
結局彼の番になっても迎えが来ることはなく、おえいは臭い彼を敬遠していました。利助ズンムは失望から、馬を蹴飛ばしたり稲を引っこ抜きます。
兄の太助は心配し女房のアサを提供したものの、利助ズンムの落胆は収まりません。
しかしおかね婆さんが山の向うの娘っ子だけの村の話をこっそりしてくれます。昔、この村のヤッコたちもその村を目指して山越えしたが、一人も帰ってこなかったそうです。北の山が越えられるかどうかも判らないそうです。山を越すのだ、と利助は顔を輝かせます。
冬の夜、ヤッコたちに見送られ、利助ズンムは一人で雪と氷の山へ登って行きます。山の背から月がのっそりと出てくるのでした。



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