始めに
川端康成『水晶幻想』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
モダニズム文学の波
新感覚派の『文藝時代』の廃刊後、川端康成と横光利一は堀辰雄の『文學』の同人となり、ここではヴァレリー、ジッド(『田園交響楽』『狭き門』)、ジョイス(『ユリシーズ』)、プルーストなどのフランスの新心理主義を紹介していました。
川端は、プルーストに刺激された横光の「機械」に影響され、伊藤整と永松定・辻野久憲らの共訳での『ユリシーズ』翻訳を参照しつつ、本作を手がけました。三角関係や不倫のモチーフなどは、「機械」『ユリシーズ』の影響を感じさせます。
モダニズム(ジョイス,横光利一)、異質物語世界の語り手
川端康成は新感覚派を代表するモダニズム文学の作家として知られています。ジョイス(『ユリシーズ』)、横光利一(『機械』)は意識の流れの手法を展開し、一人称的視点のリアリズムを展開しましたが、本作も一人称的視点のリアリズムを描く内容と言えます。
本作における語り手は異質物語世界によるもので、夫人に焦点化が図られます。『山の音』『みづうみ』と同様、本作はフラッシュバック、マインドワンダリングのような形で焦点化される夫人の過去や内面も細かく綴られていきます。
とくにのちの『みづうみ』と内容的に近く、夫人の内面の混沌が意識の流れによって紡がれ、その奇想とグロテスクなイメージの映画的モンタージュが見どころになっています。
ペット
1929年9月、浅草公園近くの下谷区上野桜木町44番地へ転居し、その後下谷区上野桜木町36番地に移った川端康成でしたが、この頃から小鳥や犬を多く飼い始めます。
当時は中産階級の動物飼育ブームになっていて、川端も熱中しました。そのことは「禽獣」などの背景にもなっています。
モダニズムと輪廻
T=S=エリオット『荒地』の下敷きとなった文化人類学者フレイザー『金枝篇』が、ネミの森の王殺しの儀式の伝統に対して、自然の象徴である森の王が衰弱する前に殺すことで、自然の輪廻と転生のサイクルを維持するためだという解釈を与えています。ここから以降のモダニズム文学に輪廻や転生のモチーフが現れるようになりました。
たとえばサリンジャー『ナイン=ストーリーズ』などにもその影響が伺えます。中上健次『千年の愉楽』、三島『豊饒の海』シリーズ(1.2.3.4)、押井守監督『スカイ・クロラ』などにも、モダニズムの余波としての転生モチーフが見えます。
本作も輪廻転生のモチーフが見え、これには川端のモダニズムとしての文脈と王朝文学への関心がうかがえ、『抒情歌』などに継承されます。
物語世界
あらすじ
夫人が見ている三面鏡の左の袖鏡には、庭にある温室風のガラス屋根が写っています。そこは、夫が動物の生殖実験をする建物です。三面鏡が届いたすぐその日に、夫人はその鏡に写る景色を見つけ、それについて夫と会話しながら、鏡の中の青空、生物たちの生殖のこと、人間の精子の泳ぐ速度、海の底に降りそそぐウウズ球形虫の死骸の雨などを連想し、新婚初夜に夫の眼鏡を踏んでしまったことや、産婦人科医だった父の診察室にあった金属器具やピペットを回想します。
夫人は、血統書付の犬のワイアを飼って、「プレイ・ボオイ」と名付けています。前にいた小型の雄のジャッパン・テリアはフィラリア症で死にました。プレイ・ボオイは犬屋の提案で、交尾料の得られるように、牝犬との交配をしています。
クリスマス間近、プレイ・ボオイの初めての交配の日、牝犬の日本犬を連れた令嬢がやってきます。令嬢と応接室で会話していたところ、夫人が手をゆるめたため、プレイ・ボオイは牝犬に飛びかかり、その場で交尾をします。
微妙な雰囲気の中、夫人は古里で一緒に泳いだ美少年や女学校の頃の美しい下級生、教会の礼拝堂や聖歌隊、父の診察室やそれを手伝う母、父の病院に来た未婚の患者やその付添人を思い出したり、薔薇や人造人間について連想したり、夫が研究している発生学の話を令嬢にします。
交尾料を令嬢が夫人に渡すときに、自分の兄の名刺を渡します。令嬢が帰っていく玄関で、夫人は、令嬢とまた会う約束をします。客人が帰ると夫人は三面鏡の前に腰掛け、夫が帰る夜更けまで鏡に向っています。帰宅した夫と鏡越しで、化粧鏡の中の人生と顕微鏡の中の人生のどちらが寂しいかを訊ねます。
寝室で帯を解きはじめた夫人は、足下に落ちた交尾料と男名前の名刺を夫に示し、自分が浮気した妄想をつつ夫の嫉妬を期待します。その人の妹がプレイ・ボオイの交配に来たことを話し、「あなたの恋人だったらと思ったわ」と話すと、夫が夫人に、「お前ももう一度よく医者にみてもらって来てくれないかね」と返し、夫人は青ざめ、やがて人造人間の話をします。
人造人間やアメーバをめぐる会話をしている間も、夫人は生物の生殖の連想を繰り広げ、輪廻転生に対する夫の見解に安心します。夫の手の匂いから、その日に夫が作ったプレパラートの研究材料を想像し、研究室で倒れて死体になった夫を連想しつつ、「人間? やっぱり死刑囚だったの?」と訊ねます。
参考文献
小谷野敦『川端康成伝-双面の人』(2013.中央公論新社)
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