始めに
太宰『眉山』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
芥川龍之介の影響。等質物語世界の語り手
太宰治は私淑した芥川龍之介の影響が顕著で、芥川『藪の中』『地獄変』のような等質物語世界の口語的語りを得意としています。
本作も、等質物語世界の語り手を設定しています。語り手の「僕」が、飲み屋で知り合った、眉山とあだなされる女中の少女との交流を語っていきます。
ドストエフスキー、チェーホフの影響。不幸な女、儚い女
太宰治はロシア文学、特にドストエフスキー(『貧しき人々』『分身』)やチェホフからの影響が顕著です。チェホフ『桜の園』の影響で『斜陽』が書かれたことはよく知られています。
ドストエフスキーは、バルザック(『従妹ベット』『ゴリオ爺さん』)狂だったのでしたが、バルザックは妹を溺愛し、妹たちが不幸な結婚をしたことから、作品において不幸な妻(『従妹ベット』など)を描きました。ドストエフスキーもそこから影響され、不幸な妻の自殺を描く「やさしい女」はブレッソンの映画化も有名です。
本作のトシちゃんも、無垢な悲劇的なヒロインです。薄幸の少女たるトシちゃんの献身を本作は描きます。
強い女
一方で、ドストエフスキーやチェーホフは、単に不幸で儚い女性だけではなく、ドストエフスキー『罪と罰』におけるソーニャや、チェホフ『桜の園』のアーニャなど、現実的で高潔でタフな女性を描いてきました。太宰の作品にもこうした作品からの影響を顕著に伺わせます。
本作のヒロインのトシちゃんも、無垢でたおやかな心を持っています。自分の犠牲を顧みずに、他者に尽くしてくれていたトシちゃんの思い出が、僕を苦しめます。
無垢と偽善
本作がテーマにするのは、無垢な少女と、周囲の世間の偽善で、このあたりは少しジェイムズ『鳩の翼』、ドストエフスキー『白痴』を連想します。
本作のトシちゃんというヒロインは、純粋無垢ですが粗忽で、トイレを汚すので嫌われ者でした。僕も周りの人たちも、そんなトシちゃんを煙たがっていました。しかし、実はトシちゃんには持病に腎臓結核があって、トイレもそれが原因で、実際には彼女は病気をこらえて献身的に尽くしていてくれたことが発覚します。
すると、僕も周りの人間も、手のひらを返してトシちゃんを誉めます。以前は悪く言っていたし、トシちゃんを思いやることがなかったはずなのに、世間はそんなトシちゃんに手のひらを返して評価するようになるのでした。
そんな自分に嫌気が差して、僕は店に通うのをやめたのでした。
タイトルの意味
タイトルは川上眉山のことで、これは観念小説とよばれるジャンルの作家です。
川上眉山はもともと紅葉(『多情多恨』『金色夜叉』)や鏡花などの硯友社系の作家でしたが、やがてそこを離れて、『文学界』という同人グループの作家、具体的には藤村(『家』『破戒』)、花袋(『蒲団』『一兵卒の銃殺』)などと関わるようになり、観念小説というジャンルを展開しました。
観念小説とは一部の泉鏡花や川上眉山の作品を指すジャンルで、社会批判や作家の思想などの観念を作品の中心とする作品のことです。川上眉山の作品は特に、反俗的な、社会批判を特徴としました。
作品の中で、トシちゃんが川上という人を、知ったかぶりをして「川上眉山だ」と言って勘違いする展開があって、そこから彼女は眉山とあだ名で呼ばれます。
そこで眉山というタイトルは、トシちゃんのあだ名で粗忽な性格の象徴であると同時に、本作は川上眉山の反俗的な観念小説さながらに、人間の社会のなかでの実践の不正義や不義理を描く内容になっています。
物語世界
あらすじ
三鷹の「僕」の家のすぐ近くに「若松屋」というさかなやがあり、店のおやじと「僕」は飲み友達です。おやじは僕に、その姉が開いた店を紹介します。
「僕」は出かけ、その「若松屋」で飲み、泊まります。「僕」は客をもてなすのに、たいていそこへ案内するようになります。店の女中さんのトシちゃんは幼少の頃より、小説が好きでした。いちどピアニストの川上六郎氏を若松屋に案内したことがあり、川上だと教えると、トシちゃんは川上眉山だと納得します。それ以来、僕たちは彼女をかげでは眉山と呼ぶようになります。
眉山は粗忽で嫌われ者でした。また「眉山の大海」といわれるほどトイレを汚すのでした。勢いよく階段を下りてはよくトイレに駆け込むのでした。
眉山を僕も煙たがり、行く店を変えればいいものの、ついつい若松屋に通います。
その後、僕は体調を崩し、何日か寝込むと回復して、若松屋へ出かけます。途中飲み仲間の橋田氏に出会い、眉山がいなくなったと知ります。
トイレが近いので、心配になったおかみが病院に連れていくと、眉山は腎臓結核で、長くは生きられないので、親元に返したそうです。
「いい子でしたがね」と、思わず出た自分の言葉に、僕は自分の口を覆いたくなります。
少しでも長く好きな小説家たちといたかったから、眉山の大海といわれるくらいトイレを我慢していたのでした。これまで病気を堪えて、尽くしてくれていたに違いありません。
僕は、その日から飲む店を変えます。
参考文献
・野原一夫『太宰治 生涯と作品』
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