始めに
里見弴『多情仏心』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
白樺派の理想主義とヒューマニズム
里見とんは白樺派の中心となった作家です。白樺派は、学習院の同人誌である白樺のグループの作家の名称で、傾向としては理想主義や人道主義を掲げて、そこから生田長江など自然主義の作家や評論家との論争がありました。
白樺派は有島武郎(『或る女』)、里見弴の兄弟や志賀直哉(『城の崎にて』)、武者小路実篤(『友情』)、長与善郎などの小説家の他にも詩人、歌人、画家もいて、作風の傾向もまちまちでした。とはいえこのグループではトルストイ(『戦争と平和』『アンナ=カレーニナ』)、ニーチェなどは広く共有され、トルストイ(『戦争と平和』『アンナ=カレーニナ』)のヒューマニズムからは里見とんも影響が顕著です。
本作もトルストイの『復活』などからの影響が顕著です。『復活』は、自分のせいで転落した下女に恩赦を求めるために主人公が奮闘する話です。トルストイの『復活』はロシアの司法制度のなかで、愛と正義のために戦う主人公を描く物語と言えます。『多情仏心』も、主人公の信之を弁護士と設定して、愛と正義のために法廷で争う主人公を描きます。
とんの作家性
里見弴は白樺派の中では世間的には知名度が低く、志賀直哉(『城の崎にて』)や有島、武者小路ほどひろく読まれているわけではありません。けれども大作家です。
とんの作家性は白樺派以外のほかの作家では谷崎潤一郎(『春琴抄』『痴人の愛』)などと割合ちかく、二人とも泉鏡花の影響が大きくて、口語的で豊かなリズミカルな語り口と、性愛の世界を中心に展開される作品内容を特徴とします。
本作も主人公で色事師の信之の生涯を通じて、作家自身の哲学がうかがえる内容です。
自伝的背景と思想
里見とんは女中の八重と恋愛し、トルストイの『復活』を読んで自分と重ね、自己嫌悪に襲われました。その後、志賀の手引きで吉原などで遊び、家族の反対を押し切って大阪の芸妓の山中まさと結婚したのでした。
とんは若いころから恋愛や性体験を繰り返し、そこから人生哲学を形成していったといえます。『多情仏心』で描かれるのは、たとえ移り気でともすれば不義理とも映る振る舞いでも、それが他者への愛に根差すものであれば認められるというヒューマニズムです。
主人公信之は、道楽者で移り気ですが根は愛情深く、愛のために生きて愛のために死にます。信之は身内に金を盗まれるような形になってもそれが愛ゆえならば許し、愛ゆえにあやまって他者を殺めてしまった西山普烈のために懸命に弁護をして、そのさなかに命を落としてしまうのでした。
第二の泉鏡花
里見とんは泉鏡花からの影響が顕著です。水上滝太郎や田山花袋などから、とんは鏡花の後継者のように見なされました。
泉鏡花は、尾崎紅葉(『多情多恨』『金色夜叉』)の硯友社のメンバーで、そこから江戸文芸の戯作文学を参照しつつも、リズミカルな口語によって幻想的で性と愛を中心とする世界を描きました。
戯作文学には談義本・洒落本・黄表紙・合巻(ごうかん)・滑稽本・人情本、読み本などがありますが、江戸文芸にあった洒落本ジャンルは、遊郭における通の遊びを描くメロドラマでしたが、鏡花も洒落本を継承して、花柳界におけるメロドラマを展開しました。また読本的な幻想文学要素、人情本的な通俗メロドラマからも影響されて、幻想文学、メロドラマをものした鏡花でした。戯作文学の口語的な豊かな語りのリズムを鏡花は継承しました。
里見とんにもこうした部分などにおける影響が顕著で、口語的でリズミカルで豊かな語り口、玄人の女性との恋愛、性愛を中心に描くドラマなどは、鏡花から継承する部分が大きく、谷崎(『春琴抄』『痴人の愛』)とも重なります。
物語世界
あらすじ
親から財産を受継いだ藤代信之は弁護士よりも色事師、道楽者として有名でした。
ある日、彼は取り巻きと柳橋の料亭に遊びます。そこの女将おもんを知り交わるものの、彼の心は同席した妹のお澄により強く魅かれていました。お澄との仲は急速に進みます。
しかし信之は彼女が、父の仇である実業家窪井の妾だと知り、酔いにまかせてお澄の家で彼女をなじります。その後、彼は吐血します。それは父ゆずりの胃癌でした。
取巻作家の一人三好が、信之が資金を援助している同人雑誌の金を使い込んだことが判ります。それは愛する女のための行為で、信之は三好を責められません。
ある日、かつて信之が関係を結んだ不良少女鈴江を種に、ハーフの西山普烈がゆすりに来ます。しかし真心の尊さを説く信之の言葉に普烈は目覚め、恋人で洋妾をやっている与禰子のもとに駈けて行きます。そして、普烈は与禰子といるのを旦那マッケンゼンに見つかって、あやまって殺してしまいます。彼は信之の励ましで自首します。信之は普烈のために弁護しようとします。
晋烈の公判で、信之は体調を崩し、やがて命を落とします。
参考文献
・小谷野敦『里見とん伝: 「馬鹿正直」の人生』




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