始めに
ビュヒナー『ダントンの死』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ビュヒナーの作家性
ビュヒナーにとって最大の師と言えるのがシェイクスピアです。ビュヒナーは、シェイクスピアが描く血の通った人間や個人の葛藤を高く評価していました。
J.M.R. レンツはシュトゥルムウントドラング期の作家で、ビュヒナーの未完の小説『レンツ』のモデルその人です。レンツの精神的な崩壊や、社会に対する違和感は、ビュヒナー自身の社会の底辺に置かれた人間への視線と強く共鳴しました。
アドルフ=ティエールとフランソワ=ミニェは作家というより、フランス革命を記録した歴史家たちです。処女作『ダントンの死』を執筆する際、ビュヒナーは彼らの書いた歴史書を徹底的に読み込みました。
またビュヒナーはスピノザの決定論や汎神論を深く研究していました。人間の自由意志など存在せず、すべては環境や運命に支配されているという決定論的な悲観主義は、彼の作品全体に漂う重苦しいトーンの根底にあります。
ビュヒナーにはシラーへの反発があります。当時のドイツ演劇の巨頭だったシラーの道徳的・理想的な美に対し、ビュヒナーは激しい嫌悪感を持っていました。
ダントンとロベスピエール
この作品の根底にあるのは、ビュヒナーが婚約者に宛てた手紙でも触れているファタリズムです。ダントンは、自分たちが革命を主導しているつもりでいながら、実は未知の力によって動かされている操り人形に過ぎないことに気づいてしまいます。個人がいかに無力かという事実は、彼の行動力を奪い、深い倦怠感へと突き落とします。
かつての戦友であるダントンとロベスピエールの対立は、単なる政治争いではなく、人生をどう捉えるかという哲学のぶつかり合いです。人生は楽しむためにあるというのがダントンの享楽主義で、彼は人間が持つ弱さや欲望を認めてこれ以上の流血を嫌います。
ロベスピエールは共和国は美徳によって成り立つという厳格な禁欲主義を掲げ、理想のために私情を捨て汚れを排除しようとするあまりギロチンを止められなくなります。
ダントンを支配しているのは、死への恐怖というよりも生への飽きと虚無感です。彼は、どれだけ議論を重ねても、どれだけ革命を起こしても、結局は無に行き着くのではないかという不安に苛まれています。彼が死をどこか望んでいるように見えるのは、生という舞台があまりに退屈で、無意味だと感じてしまったからに他なりません。
舞台裏で常に蠢いているのは、空腹に喘ぐ民衆の声です。リーダーたちが自由や美徳という抽象的な概念で争っている間、民衆が求めているのは明日食べるパンだけです。ビュヒナーは、高尚な革命ごっこの裏にある、残酷なまでにリアルな階級の格差と、飢えた大衆が持つ破壊的なエネルギーを冷徹に描き出しています。
物語世界
あらすじ
物語は、1794年、フランス革命が最も血なまぐさかった恐怖政治の真っ只中から始まります。革命の立役者の一人であるダントンは、すでに政治に飽き、連日の処刑に嫌気がさしています。彼は娼婦と遊んだり、友人たちと哲学的なお喋りに耽ったりして過ごしていますが、その心は深い虚無感に支配されています。
一方、かつての同志ロベスピエールは、共和国に汚れは許されないと、さらなる粛清を進めようとします。ダントンは彼を説得しようとしますが、二人の対話は決裂。ロベスピエールは、享楽的で歯止めのきかなくなったダントンを革命の敵として排除することを決意します。
友人たちはダントンに今すぐ逃げろ、ロベスピエールが君を殺しに来るぞ、と警告します。しかし、ダントンは重い腰を上げません。彼らにはその勇気がない、故郷を靴の裏につけて持ち運ぶことはできないとうそぶき、運命を静観します。
結局、ダントンは親友のカミーユ=デムーランらと共に逮捕されます。しかし、監獄の中でも彼はどこか冷笑的で、死を永遠の休息として受け入れようとします。
革命裁判所に引き出されたダントンは、持ち前の圧倒的な雄弁さで自分を弁護し、傍聴していた民衆の心を一度は掴みかけます。その迫力に危機感を持ったロベスピエール側は、不当な手段を使ってダントンの発言を封じ込め、強引に死刑判決を下します。
ここでダントンは、自分を裁く者たちもまた、いずれ自分と同じ道を辿ることを予言します。処刑場へと向かう荷馬車の中でも、ダントンと友人たちは冗談を言い合い、生の虚しさを語り合います。そして1794年4月5日、ダントンは処刑人に「俺の首を民衆に見せてやれ、それだけの価値はある」と言い残し、ギロチンの刃に倒れます。
劇の最後では、夫カミーユを追う妻リュシールの絶望と狂気が描かれ、革命という嵐が、理想を抱いた人間たちを一人残らず粉砕していく幕切れとなります。




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