始めに
今日は大江健三郎『個人的な体験』について解説を書いていきます。まだ習作のような内容です。
語りの構造、背景知識
象徴的手法、モダニズム
モダニズム文学はT=S=エリオットの『荒地』などを皮切りに、フォークナー(『響きと怒り』)、ジョイス(『ユリシーズ』)、三島由紀夫(『奔馬』)、大江健三郎(『万延元年のフットボール』『取り替え子』)など、神話的象徴の手法を取り入れるようになりました。これは神話の象徴として特定の対象が描写され、新しい形で神話や特定の対象が発見される機知が喚起する想像力に着目するアプローチです。
本作品も既に大江健三郎の代表作『万延元年のフットボール』などに見られる象徴的手法が用いられているものの、完成度は低く、習作のような段階です。内容は「鳥」と呼ばれる主人公と火見子というファムファタール的女性の関係がメインで、卑弥呼の象徴のような存在です。卑弥呼の、呪術で人を惑わすイメージから、火見子を悪女に設定しています。鳥は障害児を授かったことで、火見子との不倫に耽溺します。このような象徴としては他愛のない内容です。
けれども川端『伊豆の踊子』や三島『金閣寺』のような感じで、若書きであるからこそ、作家にとって切実なテーマや内容を孕んでいます。
大江健三郎「鳥」
本作の主人公は「鳥」というあだ名です。最終的には鳥というあだ名はふさわしくないと義父である教授にも言われて、モラトリアムを抜け出します。割と大江にとって鳥は少年時代やモラトリアムの象徴です。また、神的な、超越的なものの象徴としてもあります。
大江には「鳥」という短編小説があります。この作品はひきこもり青年を描き、青年が二十歳の時に、鳥たちが彼のところにやって来て、大学には行かず部屋に閉じこもり鳥たちと暮らします。ある日、一人の男が彼の部屋を訪ね、鳥に興味を示し、青年も男を信頼します。青年は男に実験を頼まれて、男の研究室に向かうものの、そこは精神病院でした。青年は、男に暴言や暴行をあびせられます。家族により、青年は再び自宅に連れ戻されます。母親は、青年を男に預けたことを詫び、もう一生、この部屋で《鳥たち》と一緒に暮らしてもいいといいますが、青年は一切の鳥を感じることができなくなります。
大江「鳥」も不意の悲劇で子供であることができなくなり、モラトリアムを抜け出した青年を描きましたが、本作はもっとポジティブに「鳥」というあだなからの主人公の脱却を描きます。
子供っぽいあだ名からの脱却のプロットは『新しい人よ目覚めよ』にも見えます。
父性をめぐるドラマ、父の神話
障害を持った子供を授かったことによる苦悩の主題は、大江健三郎の私生活を背景とし、作家に切実なテーマであり続けます。父性をめぐる神話的象徴のドラマという点でフォークナー(『響きと怒り』)を思わせます。
全体的に完成度は微妙ですが、父としての苦悩、家族の再生を描いていて、その点で『万延元年のフットボール』を準備した点では重要な作品です。
アフリカをめぐるドラマ
本作ではアフリカというトポスへの鳥の憧憬が描かれます。
ヘミングウェイ『老人と海』、ボウルズ『シェルタリング・スカイ』、ディネーセン『アフリカの日々』などの、行動主義やモダニズム作家の作品を思わせます。
物語世界
あらすじ
主人公の27歳の青年「鳥」は、高校時代には不良で、のちに東京のある官立大学の英文学部を卒業し、大学院に入ります。学部の教授の娘と結婚しますが、アルコール依存症により大学院を中途退学、そのまま予備校に勤めます。アフリカに行くという現実逃避の妄想はいよいよ増していきます。
子供の出産の後に産院に呼び出された鳥ですが、院長たちから脳瘤という病気であることを告げられます。そもそも子どもを持つことを憂鬱に感じていた鳥は混乱します。こうした中、鳥は、かつての知人火見子とのセックスに逃避します。
火見子は、子供を捨てた鳥が妻に絶縁され、自分と一緒にアフリカへ行くことを思い描いていましたが、鳥は、子供に手術を受けさせようと思い直します。怒る火見子を置いて、大学病院に子供を連れ戻します。
鳥は家族とも和解、自分の将来にも意欲を持つ決心をします。脳外科教授は、君がすっかり変わってしまった感じだから鳥(バード)という子供っぽい渾名は似合わないと鳥に言うのでした。




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