始めに
ナボコフ『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
詩人としてのキャリアとモダニズム
ナボコフはもともとロシアのシンボリズムなどの前衛詩から影響されて詩作を試みていました。
そのため、ナボコフの文章は詩的に構築され、洗練されたデザインになっています。
またルイス=キャロル(『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』)やジョイス(『ユリシーズ』)のアフォリズム、言語的遊戯からの影響も顕著に受けています(ジョイスからはやがて離れます)。またシェイクスピアやプーシキン(『大尉の娘』『スペードの女王』)の詩作や演劇からも影響が大きいです。
プーシキン流自由主義
ナボコフは男の作家では珍しい(ほかに堀口大学とか)ですが、すごいファザコンで、お父さんを超素朴に尊敬しています。そして、父の影響で、自由主義の信奉者となりました。
大おじと繋がりがあり、自由主義を体現するロシアのロマン主義の作家であるプーシキン(『大尉の娘』『スペードの女王』)は、ナボコフにとって終生大切な存在となり、プーシキンを巡る下らない小競り合いでエドモンド=ウィルソンと絶交しました。
語りの構造
語り手であるV.は、夭逝した、異母兄であるロシア生まれの英語作家セバスチャン・ナイト(1899年 – 1936年)の伝記執筆に没頭しています。彼の元秘書であったグッドマンが書いた伝記『セバスチャン・ナイトの悲劇』が間違っていることを証明しようとします。そして兄はクレア・ビショップという女性との関係を長く続けた後、別の女性との辛い恋愛を経験したのだと語り手は考えます。この最後の女性はロシア人で、この女性の正体を探ろうとします。
物語は信頼できない語り手であるVによって語られ、結局セバスチャン・ナイトのことは、ほとんど何も分からず、語り手についてもよく分からない、というのが作品全体のデザインです。Vは最後にセバスチャンの臨終のときに間に合ったと思ったものの、それは実は全く別人だったのでした。
途中、ルセール夫人がセバスチャンの最後の愛人であるマダム・ド・レチノイであり、彼女が自分の話をまるでフォン・グラウンの逸話のように語ってたという展開があるのですが、これは作品のテーマを象徴するものになっていて、Vとセバスチャンも実は同一人物であるか部分的に混合している可能性も示唆されています。
物語世界
あらすじ
語り手であるV.は、夭逝した、異母兄であるロシア生まれの英語作家セバスチャン・ナイト(1899年 – 1936年)の伝記執筆に没頭しています。
語り手は兄と家族の記憶を回想するとともに、セバスチャンのケンブリッジ大学時代の同級生を訪ね、兄の友人や知人へも取材を行います。さらにセバスチャンが書いた本を概説しながら、彼の元秘書であったグッドマンが書いた伝記『セバスチャン・ナイトの悲劇』が間違っていることを証明しようとします。この本は、語り手によれば兄について「ミスリーディング」な視点に立っているそうです。
兄はクレア・ビショップという女性との関係を長く続けた後、別の女性との辛い恋愛を経験したのだと語り手は考えます。この最後の女性はロシア人であり、おそらく兄はブラウベルクのホテルで逢いびきをしているはずでした。ここは、セバスチャンが1929年の6月に心臓の病気で倒れてから療養のために過ごしていた場所なのです。
この地で出会った、私立探偵を名乗るジルバーマンという男からこの時期にホテルに宿泊していた女性のリストを入手したセバスチャンは、ブラウベルクを離れて、リストに名前があるロシア人女性たちを追跡します。その結果、候補はパリにいるマダム・ド・レチノイとヘレーネ・フォン・グラウンの2人に絞られます。
語り手はマダム・ド・レチノイのもとを訪ねるが、会えたのは元夫のパール・パーリチ・レチノイという男でした。すでに2人は別れており、行先もわからないそうです。そこでヘレーネ・フォン・グラウンを訪ねたが、やはり会うことはできず、その友人ニーナ・ルセール〔ルセール夫人〕と知り合います。彼女からはフォン・グラウンとロシア人男性との恋愛について聞くことができたので、語り手は探していた女性はフォン・グラウンだったのだと考えます。
しかし偶然も手伝い、本当はルセール夫人こそがセバスチャンの最後のロマンスの相手だったということを見抜きます。実はこのルセール夫人はマダム・ド・レチノイであり、彼女は自分の話をまるでフォン・グラウンの逸話のように語っていました。
兄の最期の日々を再現したいと考える語り手は、1936年に兄から手紙を受け取った時のことを回想します。自分が入院するパリ郊外の病院に来てほしいという内容で、そのすぐ後に、彼が危篤であることを知らせる電報も受け取ります。ようやく病院にたどり着いた語り手は、暗闇のなかで眠る兄の息遣いを聞いて、生前に間に合ったことに安堵します。しかし看護婦の話によれば、それは別人でした。結局セバスチャン・ナイトは前の晩に亡くなっていました。
最後に語り手はセバスチャン・ナイトの生涯を時に彼になりかわって語ってきた自分が彼の分身であり、ひいては彼自身であることをほのめかしてこの小説は終わる。
参考文献
・Brian Boyd”Vladimir Nabokov: The American Years”



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