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大江『みずから我が涙をぬぐいたまう日』解説あらすじ

大江健三郎
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始めに

 大江『みずから我が涙をぬぐいたまう日』解説あらすじを書いていきます。

 

背景知識、語りの構造

成立と派生

 1970年の三島由紀夫の自衛隊へのクーデター呼びかけと自決をうけて天皇制と三島の国家と天皇への見通しへのアンサーとして、書かれた本作です。

 三島事件はのちに、『新しい人よ眼ざめよ』『さようなら、私の本よ!』などでもさらっと扱われますが、そちらでは中心的なテーマではないです。

 天皇制批判としては『セヴンティーン』「政治少年死す」の二作を踏まえていることが前書きに書かれています。

 とはいえちょっと思うのですが、大江健三郎は小説家としては天才ですが、抽象的な思考能力が高いわけではないので、特に後編の「月の男(ムーン・マン)」とかはテーマとしても散漫でいまいちです。

「みずから我が涙をぬぐいたまう日」と三島と父

 「みずから我が涙をぬぐいたまう日」では35歳の小説家が、みずからを「かれ」として、「遺言代執行人」と呼ばれる妻に、口述筆記をさせていくという語りの構造で、『ピンチランナー調書』と類似のデザインです。

 そして「かれ」の父である「あの人」が過去に脱走してきた敗戦を肯んじない将校や兵士らの指導者として、木車ごと軍用トラックに乗り込んで地方都市へ向かい、蹶起しようとして殺された事件があったのでした。幼い「かれ」も、父の天皇への敬愛を聞かされて、蹶起の準備における兵隊ごっこに熱中します。しかし実はそれはただ父が金のためにやったことで、事故のような形で殺されたに過ぎないことが発覚し、かれは父へ激しい幻滅を覚えますしかも、攻撃の対象は皇居で、それによって国体を維持しようと図っていました。にせ蹶起が失敗するとわかっていて、むしろ失敗を希望していて、失敗した後、あれは本気ではなかったろうと噂されるのを惧れて息子の「かれ」を蹶起に連れて行ったのでした。

 利己的な欲求から、たんなる扇動のために天皇を利用していた父への幻滅を通じて、日本型ファシズムにおいて天皇が軍部の道具として利用されたこと、またそうした経験を経た作家個人や日本国民の、天皇や軍部、父的なものへの幻滅を象徴するプロットは優れています。『僕が本当に若かったころ』と並んで、プロットに優れる大江の中短編の一つです。

 三島事件にたいするアンサーとして解釈するなら、結局それは日本や天皇のためのものではなく、作家個人の利己的欲求に由来する行為にすぎないというくらいに捉えられます

 父の罪による苦悩のテーマは『同時代ゲーム』などさまざまな作品に見える内容です。また「みずから我が涙を拭いたまう日」の「父と天皇制」というテーマから『水死』が書かれています。

 最後に自分の殻にかれが籠るのをヘッドホンで象徴するのですが、このモチーフは『取り替え子』にもあらわれます。

「月の男(ムーン・マン)」における天皇と神

 「月の男(ムーン・マン)」で、作家である「僕」は年上の女流詩人から、彼女が自宅で匿っているユダヤ系アメリカ人のムーン・マンと引き合わされます。彼は、1967年の有人ロケットの火災で乗員が蒸し焼きになった事故(アポロ1号)をきっかけにアメリカ航空宇宙局(NASA)から逃げ出した元宇宙飛行士で、日本の「現人神」である天皇に、アメリカの宇宙飛行計画を神の名において否定して欲しいと願っています。やがてムーン・マンは、天皇について滅びゆきかねない種であるとし、天皇にエコロジカルな「象徴」になって欲しいと言いますが、「僕」はこれに否定的です。最後に「僕」はムーン・マンの娘で幼いアルテミスこと桂・ガーシェンソンと、「未来の人間と世界を和解させる鳥」に超越的なものを見出し、天皇に代わる、魂の救いの契機を見ます。

 全体的に、アメリカのナショナリズムと帝国主義を批判し、天皇制を民主主義とは相容れないものとして見做し、鳥に象徴される自然や超越的なもののうちに民主主義や人類の進歩の縁を見出す内容ですが、結構大味です。

 本作のプロットは『僕が本当に若かったころ』の「火を巡らす鳥」のラストに継承されます。

物語世界

あらすじ

*二つの中編をむすぶ作家のノート

 「僕」は、中編「政治少年死す」(『セヴンティーン』の第二部)の末尾に記された自作の詩の1行目「純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する」に含まれる言葉「純粋天皇」の意味を、明瞭に散文化できていませんでした。

 しかし自分は次第に「純粋天皇」の主題が、外化されずに宙ぶらりんのまま、開かれた問いかけとして意識=肉体のうちに残り続けている状態に、積極的な意味を認めるようになります。

 天皇制は日本人の政治的想像力を束縛するので、日本語の作家の根源的な役割は、この日本独自の枷を把握して、日本人の想像力世界全体を照しだすことと考えます。一方で、意識のより暗いところには、自分自身にとっても意味の明瞭でない「純粋天皇」の詩句をひっかからせていました。

 ここから自分の右がわに「みずから我が涙をぬぐいたまう日」の自称癌患者をおき、左がわに「月の男(ムーン・マン)の逃亡宇宙飛行士をおいて、自分の想像力を前に進ませるための、一対の滑車としたのでした。

みずから我が涙をぬぐいたまう日

 35歳の小説家が、みずからを「かれ」として、「遺言代執行人」と呼ばれる妻に、口述筆記をさせています。

 「かれ」は自分が、肝臓癌で瀕死の状況にいると思い込んでいます。「かれ」の口述により、太平洋戦争末期の父親(あの人)との出来事が「ハピイ・デイズ」と呼ばれて語られます。

「かれ」の父親「あの人」は、故郷の県内最年少の村長を務め、大戦中には東條首相や石原将軍とつながる満州の黒幕の一人でした。しかし、ミッドウェイ、ガダルカナルの敗退で、敗戦が濃厚となってきた1943年に「かれ」の故郷の谷間の村に戻ってきて、倉に閉じこもり、肥満して膀胱癌を患います。「あの人」は、敗戦の翌日の8月16日、脱走してきた敗戦を肯んじない将校や兵士らの指導者として、木車ごと軍用トラックに乗り込んで地方都市へ向かい、蹶起しようとして銃撃されて死にます。

 10歳だった「かれ」も少年兵士としてゴボー剣に身を固めて同行しました。車上では兵士たちは繰り返しある歌を合唱し、その歌詞の意味を「かれ」は「あの人」から聞かさます。Tränenは「涙」で「Tod」は「死ぬこと」で、天皇陛下の自らの手で涙を拭ってくださるから、死よ早くこい、眠りの兄弟の死の、早くこい、と歌っているそうです。子供の「かれ」は自分もまた軍隊に加わって死のうとしているのだということを確かめます。

 ここで故郷の村から上京してきた母親が登場して、真相を話します。「あの人」は将校たちに使嗾されて、大逆事件に連座して死罪となった僧侶の娘である母親に、蹶起し皇居を爆撃すると言って、母親に軍資金として株を供出させていたのでした。地方都市の銀行の入口で、混乱から撃ち合いがおこって「あの人」も兵隊も殺されたが、将校はひとりも死なずににそのまま姿を消してしまい、株の行方もわからなくなりました。じつは「あの人」も将校たちの蹶起が本気ではないことを理解していて、にせ蹶起が失敗するとわかっていて、むしろ失敗を希望していて、失敗した後、あれは本気ではなかったろうと噂されるのを惧れて息子の「かれ」を蹶起に連れて行ったのでした。

 真相を聞かされた「かれ」は新しく購入したヘッドホーンをつけ、外界を遮断して、エンドレスで、フィッシャー=ディスカウの歌うバッハの独唱カンタータを、眼ざめているあいだ常に聴いているようになります。真の病状について話し合おうという医者の呼びかけにも答えません。

月の男(ムーン・マン)

 アポロ11号の月面着陸前後。

 作家である「僕」は年上の女流詩人から、彼女が自宅で匿っているユダヤ系アメリカ人のムーン・マンと引き合わされます。彼は、1967年の有人ロケットの火災で乗員が蒸し焼きになった事故(アポロ1号)をきっかけにアメリカ航空宇宙局(NASA)から逃げ出した元宇宙飛行士で、日本の「現人神」である天皇に、アメリカの宇宙飛行計画を神の名において否定して欲しいと願っています。

 女性詩人の依頼で「僕」はムーン・マンを、ヴィエトナム戦争の脱走アメリカ兵を匿う組織と関係がある「新左翼」でマスコミの寵児でもある人物、大学の同窓の細木大吉郎と、詩人で反捕鯨運動家のスコット・マッキントッシュに引き合わせます。スコットがザトウクジラの鳴き声をカセットテープで聴かせて、鯨の乱獲に抗議する詩を読ませると細木は涙ぐみます。一方、ムーン・マンは、ヒッピイの反戦運動や、反捕鯨運動のセンチメンタリズムにシニカルな言動を示します。

 アポロ11号による月面着陸の中継報道を「僕」は女流詩人、ムーン・マンと観ます。アームストロング船長とニクソン大統領の演説について「僕」と女流詩人が帝国主義的であるなどと否定すると、ムーン・マンはきみたちは狭いナショナリズムの頑固なとりこだから嫉妬しているんだ、と強力に反対します。その場にアメリカから電話があり、ムーン・マンの妹がヒッピイにより強姦絞殺されたそうです。ムーン・マンは「月の力」による復讐であると嘆き、帰国します。

 しばらく後、細木がマスコミを招き、水産の大会社の捕鯨への抗議のデモンストレーションを行います。合成樹脂のイルカの扮装をした細木に事故から火がつき、細木はマスコミの面前で焼死します。細木の死は社会に衝撃を与え、大学などに研究会が多く作られます。女流詩人がムーン・マンの子供を身籠っていることがわかり、彼女は、アメリカのムーン・マンのところへ向かいます。

 3年後、「僕」はムーン・マン夫妻に招かれてアメリカへ行き、帰国後、政府による勾留から社会復帰までの間、スコットに親身に援助されたムーン・マンはエコロジカルな人力飛行機の事業を興します。人力飛行機の試験場の牧場までの車中で、ムーン・マンは、細木の死を自殺であったと受け止めており、細木は死の際に世界のすべてのイルカ・クジラの霊と交感したのだと話します。また天皇について、滅びゆきかねない種であるとし、天皇にエコロジカルな「象徴」になって欲しいと言います。「僕」はこれに否定的です。

 しばらく眠ってしまい、目が覚めると、車は牧場に到着しており、「僕」の脇には付添いとして女流詩人とムーン・マンの娘で幼ないアルテミスこと桂・ガーシェンソンがいます。

 幼女の目線の先では人力飛行機の模型の群れが旋回しています。それを見て「鳥、未来の人間と世界を和解させる鳥」と「僕」は言って、その意味を彼女に伝えようするうちに、熱く新しい血の猛然たる循環がおこって、「僕」は涙の発作のような昂揚におそわれます。

参考文献

小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)

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