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エルネスト・サバト『トンネル』解説あらすじ

エルネスト・サバト
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始めに

 エルネスト・サバト『トンネル』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

サバトの作家性

​ サバトの人間の孤独や狂気への執着は、ロシア文学の巨匠たちから強い影響を受けています。ドストエフスキーは最も重要な影響源です。特に『地下室の手記』に見られるような、理屈では説明できない人間の不条理や、善悪の彼岸にある魂の葛藤をサバトは継承しています。人間の道徳的苦悩や、社会の中での個人のあり方について、サバトはトルストイを意識していました。


​ ​1930年代後半、物理学者としてパリのキュリー研究所にいた際、サバトはシュルレアリストたちと親交を結びました。これが彼の文学的転向の決定的な引き金となりました。ブルトンは理性的な科学の世界から、無意識や夢、直感といった夜の側面へとサバトを導きました。​ロートレアモンのその過激な想像力と主観性は、サバトの処女作『トンネル』の閉塞感ある文体にも影を落としています。


​ ​サバトは、人間を合理的な機械として見る科学的万能主義を批判し、孤独な実存としての人間を描きました。カフカにおける条理の通じない世界での疎外感や、迷宮のような物語構造は、サバトの作品の通奏低音となっています。​キルケゴール、ニーチェから、実存主義的苦悩や、伝統的な価値観の崩壊に立ち向かう個人の姿というテーマにおいて、思想的な影響を受けています。


​ サバトは『ジキル博士とハイド氏』を高く評価しており、人間の中に潜む二重性というテーマを繰り返し扱っています。複雑な時間の交錯や、多声的な語りの手法において、ラテンアメリカの他の作家同様、サバトもフォークナーの影響を強く受けています。同郷の巨人であり、友人でもあったボルヘスとは文学観で対立することもありましたが、形而上学的な問いを小説に持ち込む姿勢においては互いに強く意識し合う関係でした。

孤独のトンネル

 テーマは人間は本質的に他者と交わることができないという絶望的な孤独感にあります。主人公フアン・パブロ・カステルは、自分の一生を一本の暗く孤独なトンネルになぞらえます。他者もまたそれぞれのトンネルを歩んでおり、一瞬壁越しに気配を感じることはあっても、決して一つの空間を共有することはできないという実存主義的な断絶が描かれています。カステルがマリアを殺害したのは、彼女が自分の絵の真意を理解した唯一の人間だったからです。しかし、その理解が完全でないと知ったとき、彼の孤独は以前よりも深いものへと変質してしまいます。


​ ​サバトは元物理学者であり、本作では過剰な論理的思考が人間を狂気に導く過程を緻密に描いています。カステルは直感で動く芸術家でありながら、マリアの行動一つひとつに対して、まるで数学の証明を解くように執拗な分析を重ねます。彼の推論は形式的には筋が通っていますが、前提となる疑念が歪んでいるため、結論は常に裏切りへと辿り着きます。理性が感情を制御するのではなく、狂気を正当化するための道具として機能する怖さがこの作品の大きな特徴です。

盲目

 ​言葉や芸術といった、本来橋となるはずの手段がいかに無力であるかというテーマがあります。カステルの絵の中に描かれた窓は、外の世界や他者の魂をのぞき見る唯一の接点ですが、それは同時に隔たりを強調するものでもあります。カステルとマリアが交わす手紙や会話は、常に解釈のズレを孕んでいます。愛を確認しようとする行為そのものが、相手を追い詰め、関係を破壊していく皮肉が描かれています。


​ ​マリアの夫であるアジェンデが盲目であることは、極めて象徴的です。肉体的な目は見えていても、マリアの本質を見失い、独りよがりの論理に閉じこもるカステル。一方で、目は見えずともマリアを静かに受け入れていたアジェンデ。真実を見ようと執着するカステルこそが、実は最も深い暗闇(トンネル)の中にいたという逆説的な構造になっています。

物語世界

あらすじ

 画家である主人公フアン・パブロ・カステルが、獄中から自らの殺人動機を独白する形式で進んでいきます。舞台はアルゼンチン、ブエノスアイレス。偏屈で人間嫌いの画家カステルは、ある展覧会で自分の作品『母性』を眺める一人の女性、マリア・イリバルネに目を奪われます。​他の観客が絵の主題ばかりに注目する中で、彼女だけが、絵の隅に小さく描かれた窓の外の海を一人で見つめる女性という細部に、深い孤独を感じ取っているように見えました。カステルは彼女こそが自分を理解してくれる唯一の人間だと直感し、病的な執着を抱き始めます。


​ ​カステルは街中でマリアを必死に探し出し、二人は密会を重ねるようになります。しかし、カステルの愛は純粋ゆえに極めて暴力的です。やがてマリアにはアジェンデという盲目の夫がいることが判明します。


​ カステルは、マリアが夫に隠れて自分と会っている事実に彼女は嘘を吐く天才だと疑念を抱きます。彼女が語る言葉、送ってくる手紙の一言一句を、カステルは数学的なまでに冷徹な論理で分析し、その裏にある裏切りを証明しようと狂奔します。


​ ​マリアを独占したいカステルは、彼女を追い詰めていきます。マリアは彼を拒絶しきれず、親戚のハンターが管理する別荘へ彼を招きます。​しかし、そこでカステルが見たのは、マリアとハンターの親密そうな様子でした。カステルの中でマリアは自分だけでなく、夫も、ハンターも、そしておそらくもっと多くの男たちを騙しているという妄執的な確信が生まれます。


​ ​絶望と怒りに支配されたカステルは、別荘に忍び込み、マリアをナイフで刺殺します。​その後、彼はマリアの夫アジェンデのもとを訪れ、「彼女はみんなを裏切っていた、だから殺した」と告げます。盲目のアジェンデは激昂し、カステルを愚か者と罵倒します。


​ ​カステルは警察に出頭し、精神病院を兼ねた刑務所に収監されます。彼は独房の中で、自分はずっと一本の暗いトンネルを歩いてきたのだと悟ります。一瞬、マリアのトンネルと自分のトンネルが並行し、ガラス越しに理解し合えたと思ったのはただの幻想であり、自分は最初から最後まで、誰とも交わることのない孤独の中にいたのだという結論に達します。

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