始めに
ヘイウット=グールド『カクテル』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
グールドの作家性
グールドの文体や、シニカルで道徳的にグレーな世界観は、アメリカのハードボイルド文学から大きな影響を受けています。チャンドラーの都会の孤独や腐敗、そしてその中を歩く騎士のような主人公像を継承します。ハメットの感情を排した簡潔な描写と、暴力が日常に潜むドライな世界観と共通点があります。
グールドはニューヨークのブロンクス育ちであり、この街の声捉えるためにほかの作家たちの影響を受けています。デイモン=ラニアンはニューヨークのならず者、ギャンブラー、ブロードウェイの住人たちを独特の文体で描いた作家で影響しました。ネルソン=オルグレンは『黄金の腕』などで知られる、社会の底辺に生きる人々を容赦ないリアリズムで描いた作家です。グールドが描く負け犬たちの哀愁は、オルグレンに通じるものがあります。
ヘミングウェイの氷山理論と、短くパンチの効いた文体は、グールドの脚本や小説の土台となっています。ナサニエル=ウエストはハリウッドの虚飾や人間社会のグロテスクな側面を皮肉たっぷりに描いた作家で、グールドの作品に見られる冷笑的なユーモアにその影が見て取れます。
フレアの象徴性
作品の象徴であるフレア(曲芸的なカクテル作り)は、単なる技術ではなく、中身のない自分をいかに高く売るかという自己演出の暗喩です。主人公ブライアンは、バーのカウンターをステージに変えることで、学歴や資産のない自分を一時的に特権階級と同等の、あるいはそれ以上の存在に見せかけようとします。しかし、その背後にあるのは結局は酒を注いでチップをもらうだけという空虚な労働の実態であり、見せかけの華やかさと実利の乖離が大きなテーマとなっています。
ブライアンの師匠であるダグ=コグリンが語るコグリンの法則は、この物語の哲学的な支柱です。それは、世の中の仕組みを結局は金とコネ、そして運だけだと断じる徹底したニヒリズムです。夢を追うブライアンに対し、コグリンは期待するな、そうすれば失望もしないという生存戦略を突きつけます。この師弟関係を通じて、若者の純粋な野心が、大人の洗練されたシニシズムに侵食されていく過程が描かれます。
特に原作において顕著なのは、ニューヨークという都市における明確な階級の壁です。労働者階級出身の主人公が、アッパーイーストサイドの富裕層に憧れ、彼らの仲間入りをしようともがく姿は、80年代の強欲なマテリアリズムへの鋭い風刺になっています。バーテンダーという職業は、富裕層のプライベートな空間に深く入り込みながらも、決してその一員にはなれないという境界線上の疎外感を浮き彫りにします。
物語世界
あらすじ
主人公ブライアン=フラナガンは、軍を除隊後、ニューヨークで一旗揚げようともくろむ野心的な青年です。しかし、学歴もコネもない彼に開かれた道は限られていました。彼は生活のためにアッパーイーストサイドのバーで働き始め、そこでベテランバーテンダーのダグ=コグリンと出会います。コグリンは、冷笑的で哲学的なコグリンの法則を操る男。彼はブライアンに、バーテンダーという職業がいかに客を支配し、操るための演劇であるかを叩き込みます。
二人はコンビを組み、華麗なフレアでニューヨークの夜を席巻します。ブライアンは、金、女、そして名声を手にし、自分は特別な存在だという全能感に酔いしれます。
しかし、コグリンが教え込むのは常に人間は結局、金と性欲でしか動かないという徹底したニヒリズムでした。ブライアンはこの師匠から、上流階級の女を捕まえてビッグ・スコアを狙うという、歪んだアメリカンドリームを植え付けられていきます。
ある事件をきっかけにコンビを解消したブライアンは、さらなる金を求めてジャマイカのリゾート地へ渡ります。そこで彼は、裕福な年上の女性と出会い、彼女のパトロンとしての生活を手に入れかけます。しかし、そこで彼が目にしたのは、自分を珍しいペットや便利な道具としてしか扱わない、富裕層の冷酷な特権意識でした。どんなに技術を磨き、高価なスーツを着ても、サービスを提供する側と受ける側の間にある深い溝を、彼は痛感することになります。
物語のクライマックスは、映画版とは全く異なる重苦しいものです。かつての師であり、人生の勝者に見えたコグリンと再会したブライアンは、コグリンが実は理想の生活に破れ、絶望の中にいたことを知ります。コグリンの自殺、そしてブライアン自身のビッグ・スコアの失敗。
結局、ブライアンの手元には何も残りません。彼は再びニューヨークの喧騒の中へ戻り、かつてと同じ「ただのバーテンダー」として、終わりなき労働のサイクルへと沈んでいくところで物語は幕を閉じます。




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