始めに
田辺「ジョゼと虎と魚たち」解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
谷﨑とフランス文学の影響
田辺聖子は谷崎やフランス文学の心理劇からの影響が大きいです。
谷崎潤一郎は英仏の象徴主義、古典主義からの影響が顕著です。オスカー=ワイルドの作品は『ウィンダミア卿夫人の扇』などを共訳で翻訳していますし、『サロメ』的なファム=ファタールを描いた本作や『痴人の愛』などもあります。ワイルドの戯曲作品のような、卓越したシチュエーションのデザインセンスとその中での心理的戦略的合理性の機微を捉えるのに長けているのが谷崎文学の特徴です。他にもスタンダール(『赤と黒』)的な心理劇、古典趣味も谷崎の顕著に影響していますし、またウィルキー=コリンズに影響されつつ、ダイナミックなリアリズムを展開したハーディ(『ダーバヴィル家のテス』)からの影響も顕著です。
田辺も谷崎と重なるメロドラマのシチュエーションデザインのセンスと、その古典趣味が特徴です。
サガン『一年ののち』
本作はサガン『一年ののち』のオマージュで、ジョゼという名前はそこから取られています。以下はそのあらすじです。
舞台はパリ。登場するのは、若くて美しいジョゼを中心とした、作家、編集者、女優といった知的で華やかなコミュニティに属する9人の男女です。彼らは互いに惹かれ合い、恋人を交換し、裏切り、そして傷つきます。その根底にあるのは激しい情熱というよりも、「退屈」と「孤独」から逃れたいという切実な願いです。
タイトルの『一年ののち』(一ヶ月ののち、一年ののち)は、一ヶ月、あるいは一年経てば、私たちは今のこの苦しみも愛も忘れてしまうだろうという諦念を含んだ発想に由来しています。物語の終盤、激しく燃え上がっていた恋や、死ぬほど苦しかった嫉妬も、時間の経過とともに摩耗し、平坦な日常へと飲み込まれていきます。かつての恋人たちは別の誰かと隣り合い、何事もなかったかのように会話を交わすのでした。
本作「ジョゼと虎と魚たち」も、時間のなかでの諦念のような感慨を描く点でそれとテーマが共通します。
結末と映画版
全体的にサガンの作品同様、時間の移ろいと諦念がテーマになっていて、別れの予感が示唆されています。
原作では夜中に目を覚ましたジョゼは、自分も恒夫も魚になった、死んだんやな、と思います。それから恒夫はジョゼと籍も入れず親にも知らせない結婚生活を続けます。ジョゼは自分たち死んだモンになっている、と思います。ジョゼにとって完全な幸福は死と同義だったのでした。いつ終わるとも知れない終わりと隣り合わせの幸福の中で、ジョゼは生きています。
映画版では、明確に二人の別れが描かれ、恒夫の側からジョゼを離れます。
物語世界
あらすじ
下肢麻痺の山村クミ子はジョゼと名乗り、生活保護を受ける祖母と二人暮らしです。祖母はジョゼを人前に出すのを嫌がって、夜しか外出させません。
ある夜、祖母が離れたすきに誰かがジョゼの車椅子を坂道に突き飛ばします。車椅子を止めたのは大学生の恒夫です。それから恒夫はジョゼの家に顔を出すようになります。
ジョゼは恒夫を「管理人」と呼び、身の回りの世話をさせます。恒夫は就職活動のためジョゼの家から足が遠のきます。市役所に就職が決まり、久しぶりにジョゼを訪ねると、家は他人が住んでおり、ジョゼは祖母を亡くして引っ越していました。
引っ越したアパートを探し当てるとやつれたジョゼが杖をついて出てきます。ジョゼは引っ越しのため家財道具を売り払い、二階に住む乳房をさわらしてくれたら何でも用してやるという中年男性に悩みます。心配した恒夫が痩せて、しなびとると口にすると、ジョゼは激昂し出ていけと叫ぶものの、恒夫が帰ろうとすると引き留め、すがりつきます。その夜、二人は結ばれます。
翌日、恒夫は車を借りて車椅子を積み込み、ジョゼとドライブします。ジョゼは動物園に行きたいとせがみ、車椅子で虎の檻の前に行きます。虎に怯えるジョゼは恒夫にすがりつきますが、好きな人ができたとき一番怖いものをみたかったのだと言います。
ジョゼと恒夫は「新婚旅行」という名目で九州の海底水族館に行きます。ジョゼはホテルの対応に悪態をつきつつ、水族館の海底トンネルを堪能します。
夜中に目を覚ましたジョゼは、自分も恒夫も魚になった、死んだんやな、と思います。それから恒夫はジョゼと籍も入れず親にも知らせない結婚生活を続けます。
ジョゼはゆっくり料理を作り、洗濯をして、一年に一遍二人旅に出ます。ジョゼは自分たち死んだモンになっている、と思います。ジョゼにとって完全な幸福は死と同義だったのでした。




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