始めに
笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
フェミニズムとモダニズム
笙野頼子アヴァン=ポップ作家と自称し、藤枝静男、内向の世代などを参照しつつ、モダニズム的な作風を志向しました。
傾向的にはアンジェラ=カーター、ル・グウィンなどと重なり、幻想文学的なモチーフをフェミニズム的テーマと絡めて展開する、私小説的な作風が特徴です。
モダニストであるヴァージニア=ウルフなどもフェミニストで、ジェンダー的テーマを孕んだ『オーランドー』という幻想文学作品もものしましたが、本作などもフェミニズム的テーマのモダニズム、幻想文学作品です。
第二波以降のフェミニズム
笙野頼子は最近はトランスジェンダーへの差別的な発言により物議を醸していますが、フェミニズムの作家です。
第二波フェミニズム以降では、ボーヴォワール『第二の性』などが知られるように、本質主義的なセックス、ジェンダーへの見通しから離れて構築主義的な、慣習によってつくられる性的アイデンティティに着目し、そうした慣習の妊む不正義や差別を糾弾するような視座が形成されていきました。
「個人的なことは政治的なこと」というスローガンに象徴されるように、個人的な経験とそれによって構成される社会および政治構造との関連を問題にし、日常に潜む性差別について可視化していこうとしてしました。
そうしたなかで、言語を用いた実践における無意識の性差別も可視化されるようになっていき、過去の文学のキャノンもフェミニズムからの倫理的挑戦を受けることがありました。
またそうしたモードを踏まえつつ、笙野頼子は言語や言語による創作である小説に潜む性差別を意識的に批判しようとしていき、本作もそのような精神に裏付けられています。
シュルレアリスムの影響
本作はシュルレアリスムの影響が顕著です。
シュルレアリスムの画家サルバドール=ダリ(「記憶の固執」)は、「偏執狂的批判的方法」と呼ばれる制作手法を考案しました。これは妄想や強迫観念を相対化して、それを美学的再現のレベルに落とし込む手法です。妄想や夢遊の状態を批判的に認識して、それを表現にフィードバックしようと図るメソッドでした。
本作では、冒頭でマグロと恋愛する夢を見て悩んでいた語り手の私はある日、当のマグロともスーパージェッターとも判らない相手から電話が掛かって来て、どこかへ出掛けろとしつこく言われるという、幻想的で非現実的なシチュエーションが展開されます。
また、偏執狂的批判的方法的な、意識の流れの手法が展開されます。
意識の流れ
本作は意識の流れと重なる手法が取られていますが、人間の「意識」とは、そもそもなんでしょうか。
現代の心の哲学では、意識や心というものの機能主義的、道具的定義がいろいろに考えられており、大まかに言ってそれは複数のモジュールの計算、表象の操作を統合し、シュミレーションから推論を立て環境に適応的な行動変容を促すツールであるとの見通しが立てられています。そこではインプットされたさまざまな表象を操作し、過去にインプットされた表象との関連性が発見されたり、環境の構造化にあたって認識が修正されたりしていきます。
本作における全体的なコンセプトにも、そのような意識の特性が伺えます。語りの主体は知覚から得た情報からマインドワンダリングを働かせ、主観的なタイムトラベルの中でさまざまな過去の記憶や知識の表象を統合しつつ、時間軸の中でそれを構造化し、発見的な対象の把握に至っています。
混沌とした意識の中で、表象が統合され、思いがけない発見的な再現が展開されます。
プラグマティックな歴史記述
フレイザー『金枝篇』がT=S=エリオット『荒地』に導入されて以降、作家は語りの手法に民俗学、社会学的アプローチをも積極的に取り入れるようになっていきました。本作でもアナール学派的な、中央の事件史に抗する心性史としての歴史記述のアプローチが採択されています。
旧来的な中央の事件史としての歴史記述においては、歴史の構造的理解に欠き、そこから捨象される要素が大きすぎましたが、アナール学派は特定のトポスに焦点を当てたり、ミクロなアクターの視点に注目したりして、歴史の構造的把握と、歴史を構成するアクターの単位の修正を図りました。本作も同様に、ミクロな歴史的アクターの一人称的視点に着目しつつ、その集積物として歴史を構造的にとらえようとするプラグマティックな歴史記述のアプローチが見えます。
歴史の中のミクロなアクターの視点、語りを通じて歴史を記述、再構築しようとするアナール学派的アプローチは、小説家にとっても強力な武器となったのでした。
本作も主観的なタイムトラベルによって、土地と主体の歴史が縦横に物語られていきます。
物語世界
あらすじ
去年の夏頃の話です。マグロと恋愛する夢を見て悩んでいた私はある日、当のマグロともスーパージェッターとも判らない相手から、電話が掛かって来て、どこかへ出掛けろとしつこく言い、結局海芝浦という駅に行かされることになります。間違い電話だとも思いましたが、相手は私のことをちゃんと分かっていました。
語り手は中央線沿線にある住まいから京浜東北線に乗り換え、鶴見駅から鶴見線に乗り海芝浦駅に向かいます。海芝浦から浅野駅にもどり、下車してその近くにある沖縄会館を訪れるなかで、私は現代と過去の記憶がすり合わされていきます。




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