始めに
後藤明生『挟み撃ち』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
ロシア文学的なバロックとモダニズム
後藤明生は本作がゴーゴリ「外套」のパロディであったり、ロシア文学のバロックな笑いからの影響が顕著です。
ドストエフスキーも「分身」など、さながら私淑したゴーゴリの幻想文学のパロディのような機知に富んだユーモアを展開しましたが、明生文学にもそれは共通します。
ほかにもカフカやベケットの影響が顕著なモダニズムの作家です。本作も、『ゴドーを待ちながら』さながらに、誰かを待っている設定の物語です。
等質物語世界の語り手
本作品は作者の分身のような等質物語世界の語り手が導入されています。
赤木(わたし)という主人公がお茶の水橋のうえで「山川」なる男を待っています。その山川を待つ間の回想が描かれます。結局、山川は約束の時間になっても現れないし、外套も見つかりません。山川と待ち合わせたのかも、本当に来るのかもわからないし、山川の正体もよくわからないのでした。
似たデザインを持つ作品には谷崎潤一郎『吉野葛』、ローラン=ビネ『HHhH (プラハ、1942年)』などが見受けられます。いずれも一人称的な視点を生かした歴史記述が展開されていきます。
プラグマティックな歴史記述
フレイザー『金枝篇』がT=S=エリオット『荒地』に導入されて以降、作家は語りの手法に民俗学、社会学的アプローチをも積極的に取り入れるようになっていきました。特に本作でも用いられているアナール学派的な、中央の事件史に抗する心性史としての歴史記述のアプローチは、ポストコロニアルな主題を孕みつつ、ガルシア=マルケス『族長の秋』『百年の孤独』などラテンアメリカ文学などへと継承されていきました。
旧来的な中央の事件史としての歴史記述においては、歴史の構造的理解に欠き、そこから捨象される要素が大きすぎましたが、アナール学派は特定のトポスに焦点を当てたり、ミクロなアクターの視点に注目したりして、歴史の構造的把握と、歴史を構成するアクターの単位の修正を図りました。本作も同様に、ミクロな歴史的アクターの一人称的視点に着目しつつ、その集積物として歴史を構造的にとらえようとするプラグマティックな歴史記述のアプローチが見えます。
歴史の中のミクロなアクターの視点、語りを通じて歴史を記述、再構築しようとするアナール学派的アプローチは、小説家にとっても強力な武器となったのでした。
本作も現象的経験から土地や自分の歴史が綴られます。
意識の流れ
本作は意識の流れと重なる手法が取られていますが、人間の「意識」とは、そもそもなんでしょうか。
現代の心の哲学では、意識や心というものの機能主義的、道具的定義がいろいろに考えられており、大まかに言ってそれは複数のモジュールの計算、表象の操作を統合し、シュミレーションから推論を立て環境に適応的な行動変容を促すツールであるとの見通しが立てられています。そこではインプットされたさまざまな表象を操作し、過去にインプットされた表象との関連性が発見されたり、環境の構造化にあたって認識が修正されたりしていきます。
本作における全体的なコンセプトにも、そのような意識の特性が伺えます。語りの主体は知覚から得た情報からマインドワンダリングを働かせ、主観的なタイムトラベルの中でさまざまな過去の記憶や知識の表象を統合しつつ、時間軸の中でそれを構造化し、発見的な対象の把握に至っています。
混沌とした意識の中で、表象が統合され、思いがけない発見的な再現が展開されます。
物語世界
あらすじ
赤木(わたし)という主人公がお茶の水橋のうえで「山川」なる男を待っています。その山川を待つまでの回想が描かれます。
わたしは、お茶の水の橋の上に立っていました。夕方、六時ちょっと前だろうと思われます。
「早起き鳥は虫をつかまえる」という語にわたしは特別な思いを持っています。わたしは20年前に九州の筑前から大学受験のために上京し、「早起き鳥は虫をつかまえる」の和訳を解答欄に書けませんでした。
その上京する時に来ていたのが、カーキ色の旧陸軍歩兵用の外套です。
わたしがなぜ夕方にお茶の水の橋の上に立っているのか、その日の朝の話に戻ります。
あの外套はいったいどこに消え失せたのだろうか、というとつぜんの疑問が、その日わたしを早起きさせたのでした。
わたしは家を出て、20年前に住んでいた埼玉県蕨市に電車で向かいます。当時住んでいた大家さんの所を尋ね、その当時の友達のことなどを回想しますが、外套の行方は分かりません。その後で、近くにある中村質店を訪れます。
蕨市の回想とともに終戦前後のことが回想されます。わたしは北朝鮮で生まれましたが、戦争が終わると、やがて家に朝鮮人民保安隊員がやって来て、家から追い出されます。わたしと兄は穴を掘って、レコードや雑誌、指揮刀などを中に入れて燃やします。
それからわたしは九州の筑前に行くものの、その土地と馴染めません。訛りの強い言葉と、将棋のさし方を知らないことが問題なのでした。わたしにとって将棋は、土着のシンボルで、それをマスターすることなしに、土着との同化はあり得なかったと感じました。
わたしが知っていたのは、朝鮮将棋と曽祖父から習った挟み将棋だけです。曽祖父と挟み将棋をさし、自分の駒が左右あるいは上下から挟み撃ちに合って、取られたことがありました。
結局、山川は約束の時間になっても現れないし、外套も見つかりません。山川と待ち合わせたのかも、本当に来るのかもわからないし、山川の正体もよくわからないのでした。




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