始めに
村上龍『インザ・ミソスープ』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
異質物語世界の語り手。アウトサイダーアート。セリーヌ、中上健次
村上龍はニューシネマや、セリーヌ(『夜の果てへの旅』)、中上健次(『岬』『枯木灘』)などシュルレアリスムと隣接する作家からの影響が顕著ですが、アウトサイダーアート、カウンターカルチャーであるシュルレアリスムの流れを汲んでいます。
シュルレアリスムの祖アンドレ=ブルトンは、ブルジョワ社会に対するアンチテーゼとして実際の犯罪者に着目しました。三島由紀夫『金閣寺』や、そのフォロワーで永山則夫という少年犯罪者に惹かれた中上健次など、シュルレアリスムの方面で実際の犯罪者に着目するモードがあります。
本作も語り手の青年ケンジの視点から、フランクというシリアルキラーの青年を描きます。本作ではそのフランクが、ドゥルーズいうところの「戦争機械」として、日本の既存の法やシステム、権力といったものに対するアンチテーゼ、異議申しだてをするという内容になっています。
戦争機械としての殺人鬼
ドゥルーズは哲学者というよりはまあ思想家で、中上健次やその盟友柄谷行人への影響が顕著で、龍の作品テーマとも共通性が見出せます。
ドゥルーズは「戦争機械」という概念を打ち立てました。これはざっくりいうと、国家やシステムの中心化を妨げるようなメカニズム、ネットワークで、ポストコロニアル批評、文学に示唆を与えました。中上健次が自身の出生も相まって部落のコミュニティや韓国、朝鮮を描いたのもそうですが、国家や帝国の矛盾や不正義を暴き、中心化を妨げる存在に焦点を当てるアプローチは、アナール学派のような心性史的な歴史学の潮流の動向と相まって、ポストコロニアル文学、批評に影響しました。中上健次に影響した網野善彦の「聖/俗」(デュルケーム由来ですが)「無縁」概念、大江健三郎に影響した山口昌男の「中心/周辺」概念などが典型的です。
本作における殺人鬼のフランクは、日本の退廃を糾弾し、中心化を妨げるような存在として描かれます。
クーデター
フランクたちは、三島由紀夫やその作品(『英霊の聲』『奔馬』)の登場人物にも似たアジテイター、革命家です。天性の暴力衝動によって、日本というネーションの頽落を糾弾します。
三島由紀夫が文化的、政治的なアメリカへの隷属に争い、T.S.エリオット的な新古典主義者の立場から日本という伝統を庇護するべくクーデターを起こしたのに対し、フランクのクーデターはもっと衝動的で個人的な欲求に基づくものです。
フロイトいうところのタナトスのような衝動に突き動かされて、フランクは殺人を犯します。
タイトル
タイトルの「ミソスープ」とは、日本というネーションを風刺するフレーズです。
日本は独立のための歴史的苦痛を味わっておらず、平和ボケした人間が多いネーションとして描かれています。さながらそこはミソスープのぬるま湯で、そのなかでは曖昧で、同調圧力に支配された人々が頽落した日々を送っています。
そんな退廃したコミュニティを、フランクは暴力の爪痕によって糾弾します。
物語世界
あらすじ
語り手は20歳の青年ケンジ。都内で一人暮らしをし、大学受験のための予備校に通っているものの、大学に行く気もなく、外国人向けの性風俗ガイドをして稼いでいます。いつかアメリカに行くのが目標です。
ある年の年末、謎のアメリカ人フランクをアテンドすることになるケンジです。
フランクの肌は作り物めいていて、見ているこちらの不安を煽ります。その行動や、服装、喋る内容、表情は、人間味を感じさせません。
ケンジは行動を共にするにつれて、フランクがテレビや新聞で報道されていた女子高生バラバラ殺人の犯人ではないかとの疑いを深めていきます。
果たして、フランクの正体は件の殺人鬼で、やがてお見合いパブでフランクは店内にいた店員や客を、凄まじい怪力と催眠術で惨殺します。
主人公も殺されかけますが、ほかの者たちが何も言えずにただ殺されていく中、主人公だけはフランクの指示に「No」と返し、自分の意思を表したために、命をとりとめます。
ケンジは自分のガールフレンドを巻き込みながらも、フランクをアテンドで満足させます。
やがて、フランクはどこかへと去り、ケンジは何とか難を逃れたのでした。




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