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V=ウルフ『ダロウェイ夫人』解説あらすじ

ヴァージニア=ウルフ
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始めに

 V=ウルフ『ダロウェイ夫人』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

異質物語世界の語り手、複数の焦点化

 本作品はジョイス『ユリシーズ』、ジェイムズ『鳩の翼』、ラウリー『火山の下』などと語りの構造としては近く、異質物語世界の語り手が複数の人物に焦点化をはかります。多数の登場人物を視点にするものの、大部分はクラリッサ=ダロウェイ、ピーターーウォルシュ、セプティマス=スミスに割かれています。

 また意識の流れの手法を駆使しつつ物語は展開されていきます。

一人称的視点のリアリズム、意識の流れ。プラグマティズム、現象学

 モダニズム文学に典型的な手法が意識の流れです。ジョイス『ユリシーズ』、フォークナー『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』、本作などに見える意識の流れの手法は、現象学(フッサール、ベルクソン)、精神分析などの心理学、社会心理学、プラグマティズム的な知見を元に、伝統的な小説にあった一人称視点のリアリズムをラディカルに押し進めたものでした。意識的経験の時間軸のなかでの全体性を描きます。

 人間の意識的経験やそれにドライブされる行動は、時間軸の中で全体性を持っています。主観的な時間の中で過去と現在と未来とは、相互に干渉し合って全体を形作っていきます。過去の経験や知覚が因果になり、さながら一連の流れとも見えるように、意識的経験は展開されます。こうした時間論的全体性を描くのが意識の流れの手法です。現実の社会における実践はこのような個々のエージェントの主観的経験が交錯するなかでその時間的集積物として展開されます。

 たとえばプルーストは現象学のベルクソンの親戚であり、その思想から顕著な影響を受けました。ベルクソンの思想とその現象学は一人称的視点の集積として世界や社会を解釈しようとするプラグマティズム、システム論的なものでしたが、『失われた時を求めて』は一個のエージェントの視点から、社交界における実践を記述しようとします。一人称視点の主観的なタイムトラベルが繰り返される中で、失われた時の中の過去が綴られていきます。

 一方で、本作は複数の人物に焦点化を図りつつ、さまざまな視点からダロウェイ夫人を取り巻く関係が描かれていきます

ダロウェイ夫人のパーソナリティ

 政治家の夫人クラリッサは50才過ぎで、作中の人物からは俗物と見做されています。クラリッサは無垢で頑固で残酷で感傷的な社交家で、一部の人の心を惹きつけます。

 クラリッサのパーソナリティは俗物と言ってもフローベール『ボヴァリー夫人』のシャルルやオメーのように紋切り型な俗物ではなく、なかなかとらえどころのない、奥行きのあるパーソナリティを設定されています。とはいえ、確かに終盤に見える描写は、俗物としての強かさを感じさせます。

 このような非線形の語りによる奥行きのあるパーソナリティの描写はガルシア=マルケス『族長の秋』と重なります

もう一人の主人公

 第一次世界大戦の退役軍人で、心的外傷性ストレスに悩まされているセプティマス・ウォーレン・スミスは、イタリア生まれの妻ルクレツィアがいます。セプティマスは、頻繁に幻覚に悩まされ、ほとんどが戦争で亡くなった親友のエバンスです。セプティマスは、精神病院への強制入院を医師から処方された結果、窓から飛び降り自殺します。

 同性愛的な恋愛感情、過去にとらわれる心理など、全体的にクラリッサと共通する部分が多く、セプティマスはもう一人の主人公として設定されています。他方で、クラリッサと違って、精神的なタフネスと強かさには欠いていて、最後は過去にとらわれる中で自殺します。他方で、クラリッサは駆け落ちの欲求や過去の恋愛にとらわれるものの、パーティで自身の結婚の選択の正しさを知り、またセプティマスの自殺をポジティブに捉え、それを自己肯定感につなげるなど、俗な強かさを発揮します。

本作の時間

 本作に描かれる時間的期間は、ジョイス『ユリシーズ』のように一日の間のことであって、ガルシア=マルケス『百年の孤独』と比べるとずっと短いものの、意識の流れの手法によって、その中で時間が過去から未来、現在へと縦横に変遷していくのが特徴です。

 ウルフも心理リアリズム路線において、『歳月』『灯台へ』などでは、長いタイムスケールの物語を展開しました。また『幕間』では、ある一日のことを扱うなど、本作同様短いタイムスケールで展開します。

ジョイスへのアンサーとして

 本作品はモダニストのジェイムズ=ジョイスへのアンサーとして展開されていて、語りの構造や細かな設定やエピソードはジョイス『ユリシーズ』を彷彿とさせます。街を歩きながら、三角関係、四角関係の恋愛に思いを馳せるクラリッサの描写は『ユリシーズ』と共通します。

 それに加えて本作はジョイスの代表作『ダブリン市民』の「死者たち」との類似が顕著です。

 「死者たち」では1904年、雪のクリスマスのダブリン。大学教授のガブリエル=コンロイと妻のグレタはジュリアとケイトのモーカン叔母姉妹と姪メアリーが毎年主催する舞踏会にやってきます。帰り際に客の一人で歌手のバーテル=ダーシーが歌うアイルランドのバラード「オクリムの乙女」を聴いた時から、グレタの様子が変わります。ホテルに戻ったガブリエルは、グレタからゴールウェイの祖母の田舎に住んでいた娘時代に出会った、この歌をよく口ずさんでいた少年マイケル=フューリーの思い出話を聞かされます。結核になり、会うことが許されず、グレタがダブリンに発つ日に病床を抜け出し、冷たい雨の中、庭先に立っていたものの、まもなく亡くなったそうです。ガブリエルは嫉妬から憐れみ、そして愛に感情が変化していき、今夜の光景を思い出します。そして死者たちの世界を想います。

 このように、この作品のなかでは格別大きな事件があるわけではありません。ふとしたことがきっかけで、過去のトラウマがグレタにフラッシュバックし、そこから発展した会話から、夫妻は死と死者たちの世界について意識します。マイケルの死は、夫妻に何か死というものの本質を顕せているのでした。

 他方で、本作の主人公のクラリッサは、主催するパーティーの最中、セプティマスという戦争のトラウマに苛まれる男の自殺を耳にします。セプティマスとダロウェイにはほとんど接点がありません。セプティマスの自殺をポジティブに捉え、それを自己肯定感につなげるダロウェイ夫人のしたたかさが印象的です。

物語世界

あらすじ

 クラリッサ・ダロウェイは午前中にロンドンに出かけ、その夜のパーティーの準備をします。天気も良く、ボートンの田舎で過ごした若い頃を思い出し、夫について考えます。彼女は、謎めいたピーター・ウォルシュではなく、信頼のおける成功者のリチャード・ダロウェイと結婚しました。女性の恋人サリー・シートンと一緒にいる選択肢はありませんでした。

 その朝、ピーターが訪ねてきて、葛藤が再び持ち上がります。ピーターの訪問で、彼がまだクラリッサに恋していることが分かり 、クラリッサはピーターに連れ去ってほしいと願っていることを表明します。クラリッサはさらに、その夜のパーティーにピーターを招待します。

 第一次世界大戦の退役軍人で、心的外傷性ストレスに悩まされているセプティマス・ウォーレン・スミスは、イタリア生まれの妻ルクレツィアと公園で一日を過ごしています。セプティマスは、頻繁に幻覚に悩まされ、ほとんどが戦争で亡くなった親友のエバンスです。セプティマスはエバンスに性的な感情を抱いていました。セプティマスと医師のウィリアム・ブラッドショー卿およびホームズ医師との関係は悪く、セプティマスは、両医師がいると自分の身の安全が脅かされるのではないかと不安になります。精神病院への強制入院を両医師から処方され、セプティマスは窓から飛び降り自殺します。

 クラリッサの夜のパーティーは成功でした。数十年ぶりに会ったサリーと再会したクラリッサは、サリーが、5人の男の子の母親になっていることを知ります。またクラリッサは、ピーター・ウォルシュが密かに破産しているという噂を他のパーティー客から耳にします。クラリッサは、ピーターが家族の遺産を浪費したために、彼女のお金にを狙い、彼女の元に戻ってきたのだと気づきます。クラリッサは、退屈だが信頼できるリチャードを、選んだのは正しかったと意識します。

 クラリッサはパーティーでセプティマスの自殺について聞きます。クラリッサは、この行為を彼の幸福の純粋さを守ろうとする努力だと考えます。クラリッサはまた、セプティマスについての知識が限られているにもかかわらず、セプティマスと共感できる自分の能力を認めます。

参考文献

・ナイジェル=ニコルソン『ヴァージニア・ウルフ』

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