始めに
ウルフ『波』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
一人称的視点のリアリズム、意識の流れ。プラグマティズム、現象学
モダニズム文学に典型的な手法が意識の流れです。ジョイス『ユリシーズ』、フォークナー『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』、本作などに見える意識の流れの手法は、現象学(フッサール、ベルクソン)、精神分析などの心理学、社会心理学、プラグマティズム的な知見を元に、伝統的な小説にあった一人称視点のリアリズムをラディカルに押し進めたものでした。意識的経験の時間軸のなかでの全体性を描きます。
人間の意識的経験やそれにドライブされる行動は、時間軸の中で全体性を持っています。主観的な時間の中で過去と現在と未来とは、相互に干渉し合って全体を形作っていきます。過去の経験や知覚が因果になり、さながら一連の流れとも見えるように、意識的経験は展開されます。こうした時間論的全体性を描くのが意識の流れの手法です。現実の社会における実践はこのような個々のエージェントの主観的経験が交錯するなかでその時間的集積物として展開されます。
たとえばプルーストは現象学のベルクソンの親戚であり、その思想から顕著な影響を受けました。ベルクソンの思想とその現象学は一人称的視点の集積として世界や社会を解釈しようとするプラグマティズム、システム論的なものでしたが、『失われた時を求めて』は一個のエージェントの視点から、社交界における実践を記述しようとします。一人称視点の主観的なタイムトラベルが繰り返される中で、失われた時の中の過去が綴られていきます。
本作は意識の流れとは少し違うものの、登場人物たちのダイアローグがさながら意識の流れのように連綿と因果を作って過去のことを物語っていくという特異な内容になっています。
語りの構造
本作は異質物語世界の、いわゆる三人称の語り手を設定しつつ、テクストの大半は登場人物六人の会話文からなるという実験的スタイルになっています。
六人の生涯を描く対話のパートには、地の文がほとんどありません。日の出から日没までの一日のさまざまな段階の海岸の風景を描写する9つの短い三人称の幕間でそれが区切られていて、おそらくは対話が行われている舞台描写でしょう。
物語は六人の登場人物の幼少期から成人期までを、会話により描いています。バーナード、ルイ、ネヴィル、ジニー、スーザン、ローダで、その共通の知り合いに、語り手にはならないパーシヴァルがいます。それぞれヴァージニアの関係者がモデルとされます。
明確なプロットはないものの、複数の語り手の声や人生が交錯していきます。
ただ個人的な意見では、あまり本作はうまくいっていないと感じ、リョサ『ラ=カテドラルでの対話』、フォークナー『アブサロム、アブサロム!』、川端『たんぽぽ』のように、会話劇と意識の流れ的な一人称的時間論的スタイルのフュージョンに成功しているとは言い難く、微妙なレーゼドラマのようにも見えます。
演劇との連続性
『ユリシーズ』のジョイスもイプセンから影響が大きく、演劇的バックグラウンドが創作に濃厚ですが、本作『波』も、ダイアローグ中心であるため、演劇と形式的に重なります。
ヴァージニアには『幕間』という演劇のバックステージものの作品もあります。
物語世界
あらすじ
6 人の語り手の幼少期から成人期までを描いています。バーナード、ルイ、ネヴィル、ジニー、スーザン、ローダで、その共通の知り合いに、語り手にはならないパーシヴァルがいます。それぞれヴァージニアやその関係者がモデルとされます。
バーナードはいつも何かとらえどころのない言い回しを探しています。
ルイは、受け入れられることと成功を求めるアウトサイダーです。
ネヴィルは、ウルフの友人、リットン・ストレイチーをモデルにしていて、同性愛的なところが強いです。
ジニーは社交界の名士であり、彼女はウルフの友人メアリー・ハッチンソンをモデルにしています。
スーザンは都会を逃げて田舎を好み、母親になることに悩みます。ウルフの妹ヴァネッサ・ベルと重なります。
ローダはさまざまな苦悩に悩まされ、常に人間の妥協を拒絶し、孤独を求めています。ヴァージニア・ウルフに似ています。
パーシヴァルは、ウルフの弟トビー・スティーブンをモデルにして、インドで亡くなってしまいます。
参考文献
・ナイジェル=ニコルソン『ヴァージニア・ウルフ』




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