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横光利一「春は馬車に乗って」解説あらすじ

横光利一
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始めに

 横光利一「春は馬車に乗って」解説あらすじを書いていきます。

語りの構造、背景知識

モダニズム

 横光利一は川端(『眠れる美女』『みづうみ』)と並んで、新感覚派を代表するモダニズム作家です。

 モダニズムとはジョイス(『ユリシーズ』)やプルースト(『失われた時を求めて』)、フォークナー(『響きと怒り』)に代表される前衛的な文学運動で、意識の流れなどを特徴とします。また、同時期の前衛文学にシュルレアリスムがあって、そうした潮流と連動しつつ展開されていきました。

 川端もモダニズム、シュルレアリスムの影響が大きく、『眠れる美女』『みづうみ』などを展開しました。シュルレアリスムはまた、映画とも連動して展開されていったのですが、川端康成や横光利一も衣笠貞之助監督の『狂った一頁』に協力しています。

 本作も映画のフレーム的な効果やモンタージュの手法を作品に取り入れています

 本作も映像的なイメージのモンタージュの中で妻の病と死までを描写し、ラストのイメージは印象的です。

タイトル

 印象的なタイトルは、ラストに現れるスウィートピーの花のことです。

 思いがけず贈られた花束を夫は結核に病む妻の元へと届け、この春の訪れを告げる花束が馬車に乗ってやってきたことを伝えます。

 衰弱した妻は、花束の中に顔を埋め、亡くなったように見えます。

伝記的背景

 作中の「妻」は、横光利一と1919年に知り合い、1923年の関東大震災の3か月前から同居を始めた小島キミです。キミは1925年6月に結核を発病し、1926年6月24日に逗子の湘南サナトリウムで23歳で亡くなります。

 横光はキミの療養のため、葉山の森戸の借家で暮らしていました。兄の小島勗に反対され駆け落ちの同居で、戸籍上婚姻しておらず、キミの死後に入籍しています。

 亡妻を描くものは他に、『蛾はどこにでもいる』『花園の思想』があります。

物語世界

あらすじ

 胸の病で臥せる妻の寝台から、海浜の松や庭のダリアや池の亀が見えます。いつしか彼(夫)と妻の会話は刺々しくなります。

 彼は妻の気持を転換させようと話題を選んだり、好物の鳥の臓物の鍋をつくったりします。妻は病の焦燥から、夫が執筆で別室へ離れることにも駄々をこねます。

 妻は弱り、鳥の臓物さえ食べなくなりました。彼は海でとれた新鮮な魚や車海老を縁側に並べて妻に見せるものの、彼女は、それより聖書を読んでほしいと言います。彼はペトロのように不吉な予感がします。

 妻は咳の発作と共に暴れます。そんな時、彼は妻が健康な時に彼女から与えられた嫉妬よりも、寧ろ数段の柔らかさを感じます。彼はこの新鮮な解釈に寄りすがり、この解釈を思い出す度に海を眺めて、大きな声で笑います。

 しかし彼は妻の看病で疲れ、弱気になります。彼は「なお、憂きことの積れかし」と、呟くのが癖になります。腹の擦りにも我がままを言う妻に彼が弱音を吐くと、妻は急に静かになり、小さな声で我がままを言ったことを反省し、夫に休むように促します。彼は涙が出てきて、妻の腹を擦ります。

 ある日、薬を買いに行った時、彼は医者から、もう妻の病が絶望的なことを告げられます。彼は家に帰っても、なかなか妻の部屋へ入れません。妻は夫の顔を見て、彼が泣いていたことに感づいて黙って天井を眺めます。

 彼はその日から機械のように妻に尽くします。彼女は、もう遺言を床の下に置いたそうです。彼は旧約聖書をいつものように読んで聞かせます。彼女は泣き、自分の骨がどこへ行くのか、気にし出します。

 寒風も去りつつあるある日、彼のところへ知人からスイトピーの花束が届けられます。早春の訪れを告げる花束を持ちながら、彼は妻の部屋に入ります。花について「どこから来たの」と尋ねる妻へ、「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を捲き捲きやって来たのさ」と答えます。

 妻は彼から花束を受けると両手で抱きしめます。そうして彼女は花束の中へ蒼ざめた顔を埋め、恍惚として眼を閉じるのでした。

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