始めに
漱石『草枕』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
英露のリアリズム
夏目漱石は国文学では割と珍しく(露仏米が多い印象です)、特に英文学に創作のルーツを持つ作家です。特に好んだのは、英国のリアリズム作家(オースティン[『傲慢と偏見』]、ジョージ=エリオット、H=ジェイムズ[『ねじの回転』『鳩の翼』])でした。『三四郎』『それから』『こころ』『行人』『明暗』などの代表作も、そのような英国の心理リアリズム描写を範としますし、本作も同様です。
またロシア文学のリアリズムからも影響され、ドストエフスキー(『罪と罰』)などに似た心理リアリズムが展開されます。
とはいえ、本作はまだ作風の確立する前の作品です。
初期の作品
本作は初期の作品で、『三四郎』などで心理劇としての作風が定まる前の作品です。
この時期の作品は『吾輩は猫である』なども顕著ですが、ローレンス=スターンのロマン主義からの影響が強く、本作も『トリストラム・シャンディ』に似た、形式主義的実験を展開します。
エラスムス『痴愚神礼讃』、ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』、セルバンテス『ドン・キホーテ』、スウィフト『桶物語』など、ルネサンス文学やスペインのバロック喜劇、ピカレスクにあった形式主義的実験を、『トリストラム・シャンディ』は継承し、さまざまな引用や脱線を繰り広げる喜劇を展開しました。
漱石はスターンを継承し、本作や『吾輩は猫である』の形式主義的実験を展開しました。
江戸文芸の残滓
本作はまだ、漱石が英国心理リアリズムをリファレンスして作風を確立する前の作品で、江戸文芸の影響が顕著です。
江戸文芸には、滑稽本というジャンルがあり、これは江戸時代後期の戯作の一種で、ユーモアや言葉遊びなどを特徴としますが、本作もそのようなジャンルの影響があり、ユーモアと文明批評をコンセプトとしています。
また曲亭馬琴や山東京伝、上田秋成などの読本といった戯作文学からも連続的な内容です。
ルネサンス文学、スペインバロック、英国ロマン主義の伝統と、江戸文芸の伝統のフュージョンを本作は図っていると評価できます。
語りの構造
本作は物語の語り手は等質物語世界の語り手で、漱石の分身のような、洋画家です。
物語はプロットよりも、この語り手の芸術論や文明批評に重い比重が置かれ、縦横に語られる対象が脱線していきます。『トリストラム・シャンディ』のような、脱線が次々展開されていきます。
非人情と則天去私
本作は漱石の「非人情」の理想が見えます。これは人情に煩わされず、超然としていることで、これを主人公の画家は那美という女性に見出します。
世俗の人情に煩わせられないという非人情の境地ですが、『道草』などの自伝的小説にみえるのは、まさに人情に絆されて、主人公が金のことに頭を悩ませられる姿でした。また『門』では、世俗を離れて参禅する主人公が特に非人情や則天去私の境地を得ることがなく帰還します。漱石文学において、世俗の関係とのコミットメントとそのなかでの苦悩は中心的なモチーフになり、非人情や則天去私も、そこから関連するテーマです。
漱石は非人情からやがて則天去私の理想に至ります。何があっても人情によって動揺せず、目の前の事態をありのまま受け入れようとする姿勢です。あらゆることへの執着をすててありのままを受け入れようとする、というのは仏教思想などからの影響が顕著に見えます。本作の非人情のテーマは、則天去私のテーマを準備したといえます。
非人情の美学
本作で、画工の語り手で主人公は、「若い奥様」の那美と知りあい、彼女に「非人情」を感じます。やがて彼は那美と一緒に彼女の従兄弟で、満州の戦線へと徴集された久一の出発を見送りに駅まで行き、その際にホームで「野武士」のような別れた夫と、那美は汽車の窓ごしに見つめあいます。そのとき那美の顔に浮かんだ「憐れ」を主人公はみてとり、これは画になると言います。
那美がそこで見せた人情さえも、それに単に共感や没入するのではなく、それを相対的に客観的に観察し、それを内なる理想を表現するため、絵画という美学的再現に展開しようとする姿勢に、芸術家の非人情の精神が垣間見えます。
モデル、前田卓
明治30年の暮れごろ、前田邸を夏目漱石が訪ねて、漱石はここで前田卓と出会い、そこから『草枕』を書いています。那美は、彼女がモデルです。
この前田卓をモデルにして漱石は、『草枕』における語り手が最後に那美を絵画にしようとしたのと同じように、作家として非人情を発揮して、創作に昇華したと言えます。
物語世界
あらすじ
日露戦争のころ。30歳の洋画家である主人公は、山中の温泉宿にとまります。
そして宿の「若い奥様」の那美と知りあいます。「非人情」な那美から、主人公は自分の画を描いてほしいと頼まれます。しかし、彼は彼女には「足りないところがある」と描きません。
ある日、彼は那美と一緒に彼女の従兄弟で、満州の戦線へと徴集された久一の出発を見送りに駅まで行きます。その際にホームで「野武士」のような容貌をした、別れた夫と、那美は発車する汽車の窓ごしに見つめあいます。そのとき那美の顔に浮かんだ「憐れ」を主人公はみてとり、これは画になると言います。
参考文献
・十川信介『夏目漱石』
・佐々木英昭『夏目漱石』



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