始めに
アップダイク『クーデター』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
アップダイクの作家性
アップダイクはモダニズムの作家です。ナボコフ、ジョイスなどから特に影響を受けました。
アップダイクが文体の手本としたのがウラジーミル=ナボコフです。言葉そのものの響きや、視覚的なディテールへの執着から影響を受けています。
プルーストも、 過去の記憶、感覚の細かな再現、そして失われゆく時間への哀愁や意識の流れの手法などに影響しています。
またニューイングランドの伝統を継ぐ作家として、ホーソーンを強く意識していました。アップダイクはホーソーンの『緋文字』を現代風に再構築した「スカーレット・レター三部作」を執筆したりしています。
ジョイスからも大きな影響を受けています。特にジョイスの『ユリシーズ』に見られる、意識の流れや都市生活の断片的な描写は、アップダイクに影響しています。
ほかにアップダイク作品の根底にある「信仰と疑念」というテーマは、デンマークの哲学者キェルケゴールと、スイスの神学者カール=バルトの影響があります。
独裁者の孤独。理想と現実
『クーデター』はアフリカの架空の国「クシュ」を舞台にした異色作です。
主人公のフェリックス=エルルー大佐は、熱狂的なイスラム教徒でありマルクス主義者ですが、同時にアメリカでの留学経験を持っています。エルルーは西欧の消費文明を魂を汚染するものとして拒絶し、クシュの純粋さを守ろうとします。
しかし彼の思考回路や言語感覚そのものが西洋教育によって形作られており、彼が守ろうとするアフリカそのものが、実は西洋的な知性によって再構築されたフィクションであるという皮肉が描かれています。
物語の背景には、クシュを襲う凄まじい干ばつがあります。アメリカからの食料援助は、飢えを救う一方で、エルルーが忌み嫌う資本主義の波を強制的に持ち込みます。結局、民衆が求めたのはエルルーの高潔な理想ではなく、アメリカ的な物質的豊かさでした。エルルーの失脚は、この抗えない近代化の象徴です。
語りの構造
エルルーは三人称と一人称を使い分けながら語りますが、その知的な語り口は、彼が統治しているはずの民衆の実態からいかに乖離しているかを浮き彫りにします。
彼の語る理想主義が、現実の飢えや政治工作の前でいかに無力であるかという「言葉と現実のギャップ」が大きなテーマとなっています。
かつての英雄が、時代の波に飲み込まれ、最後には忘れ去られていく過程が描かれます。独裁者としての神格化が剥がれ落ち、最終的に彼がたどり着く先は、政治的な死(亡命)と個人的な虚無感です。
新古典主義、神話的象徴の手法
モダニズム文学はT=S=エリオットの『荒地』などを皮切りに、フォークナー(『響きと怒り』)、ジョイス、三島由紀夫(『奔馬』)、大江健三郎(『万延元年のフットボール』『取り替え子』)など、神話的象徴の手法を取り入れるようになりました。これは神話の象徴として特定の対象が描写され、新しい形で神話や特定の対象が発見される機知が喚起する想像力に着目するアプローチです。
アップダイクの先駆のジョイス『ユリシーズ』では冴えない中年の広告取りレオポルド=ブルームを中心に、ダブリンの1904年6月16日を様々な文体で描きます。タイトルの『ユリシーズ』はオデュッセウスに由来し、物語全体はホメロスの『オデュッセイア』と対応関係を持っています。テレマコスの象徴となる青年スティーブン=ディーダラス、オデュッセウスの象徴としてのレオポルド=ブルーム、ペネロペイアの象徴としての妻モリーのほか、さまざまな象徴が展開されます。
本作も全体的にシェイクスピア『リア王』の象徴性が見て取れます。
『リア王』の象徴として
『リア王』では、リア王は権力を喪失し、嵐の荒野を彷徨いながら狂気へと向かいます。他方、エルルー大佐は、クーデターによって権力を追われ、かつての自国であるクシュの砂漠を身分を隠して旅します。どちらも絶対的な統治者から何者でもない一個の人間へと剥ぎ取られていくプロセスが描かれています。
リア王は荒れ狂う嵐の平原を彷徨い、それは王の精神的な混乱と孤独を象徴します。エルルー大佐においては、クシュを襲う絶望的な干ばつと広大な砂漠がその役目を果たします。自然の猛威の前で、かつての権力がいかに無力であるかが強調されます。
物語世界
あらすじ
アフリカのサハラ砂漠の南端に位置する架空の小国「クシュ」を舞台にした、皮肉とユーモアに満ちた政治寓話です。物語の主人公であり語り手でもあるハキム=フェリックス=エレルーは、クシュの終身大統領であり、かつてのアメリカ留学経験を持ちながらも、激しい反米・反帝国主義を掲げるマルクス主義的独裁者として君臨しています。
クシュを襲う数年来の凄まじい干ばつと飢饉があります。エレルーは、国民が飢えに苦しんでいるにもかかわらず、自らの政治的純潔を守るためにアメリカからの食糧援助を断固として拒否し続けています。
ある日、アメリカの国務省職員であるギブズが、クシュの国境に大量のキックス(シリアル)などの援助物資を積み上げ、強引に受け入れを迫ります。しかしエレルーは、これを資本主義による精神的汚染とみなし、積み上げられた食糧の山の上にギブズを座らせ、物資ごと火を放って彼を処刑するという暴挙に出ます。
エレルーの私生活もまた、彼の複雑な内面を反映しています。彼には4人の妻がおり、それぞれがクシュの伝統、近代化への渇望、あるいは彼の過去を象徴する存在として描かれます。第4の妻キャンディは、かつて彼がアメリカのウィスコンシン州に留学していた際に出会った白人女性であり、エレルーの中にある「西洋への憎しみと憧憬」の混濁した感情を刺激し続けます。
政情が不安定化する中、エレルーは自らの権力の基盤を確認するため、変装して国内を視察する旅に出ます。しかし、彼が目にしたのは、自身の理想主義的な革命理論とは裏腹に、干ばつで疲弊しきった国民の姿と、自身の側近であるエザナが背後で進める現実主義的な(親米的な)近代化の波でした。さらに、旅の途中で彼は、前国王を処刑した際に切り落とされたはずの王の首が洞窟で予言を行っているという噂を耳にし、自らのアイデンティティと権威が足元から崩れていくのを感じます。
結局、エレルーが首都を離れている間に、エザナら実務派による無血クーデターが実行されます。彼が戻ったとき、クシュはすでに近代化への道を歩み始めており、エレルーの掲げた厳格なイスラム的・マルクス主義的理想は、効率と経済援助を優先する新体制によって過去の遺物として葬り去られていました。
独裁者の座を追われたエレルーは、処刑されることもなく、皮肉にも南フランスのニースへと追放されます。かつてあれほど嫌悪した西洋の地で、彼は自らの回想録を執筆しながら、名もなき亡命者として静かに余生を過ごすところで物語は幕を閉じます。




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