はじめに
大江健三郎『宙返り』解説あらすじを書いていきます。『懐かしい年への手紙』『燃え上がる緑の木』の続編です。シリーズ(1.2.3)の3作目です。
語りの構造、背景知識
『懐かしい年への手紙』『燃え上がる緑の木』の続編だが…
『懐かしい年への手紙』『燃え上がる緑の木』の続編ですが、完全に蛇足気味です。オウム事件があったので、それに対するアンサーとして二部作で終わるはずの内容に無理やり本作を付け足した感じなので、冗長です。
結局神や教団に依存せずとも祈る行為自体に価値を見出す結末も『燃え上がる緑の木』の焼き回しがひどいです。
転向とカルト的コミュニティ
大江健三郎は初期から現実参画を訴え、オーデンの訳詞からタイトルをとった『見るまえに跳べ』に見えるように、直感的な政治へのアクションを実践していきました。
なので大江健三郎の政治への知識や考察というのはどうしても浅薄なのですが、その一方で政治的なコミュニティ一般と連続的なカルト(新左翼のような)への懸念は一貫してあるのと、理想主義の限界や破綻への憂慮もずっとあって、「転向」のモチーフも重要なテーマとなっていきます。
本作もカルト的コミュニティの理想の暴走と、「転向」を描く内容です。
宙返りと転向
題名になっている「宙返り」は、一七世紀トルコに生まれ、メシアを自称したユダヤ教徒サバタ=ツヴィのイスラム教への改宗に由来します。「死か、イスラム教への改宗か」とスルタンに迫られたツヴィは改宗します。
『宙返り』に登場する「救い主」(「師匠」)と「預言者」(「案内人」)は、急進派のテロを阻止するためにTVカメラの前でそれまでの信仰の全否定のパフォーマンスを行い、これが「宙返り」と呼ばれます。この「宙返り」は、理想やイデオロギーのために個人を犠牲にするのではなく、あくまでも個人の生を重んじるヒューマニズムのテーマを象徴していて、『キルプの軍団』『河馬に噛まれる』などと重なります。
マルクスの共産主義がまず個人に立脚する思想であったところ、大江健三郎も共産主義、マルクス主義の理想のための暴力や死を肯定せず、個々人の自由な生を尊重しようとしました。
宗教を象徴にして左翼的活動の組織論的考察を展開するデザインはシリーズ(1.2.3)共通です。
フォークナー、アナール学派、文化人類学の影響
大江健三郎は初期からモダニズム文学者ウィリアム=フォークナー(『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』)の影響が顕著です。コンラッド(『闇の奥』)やT.Sエリオットといったモダニズムの潮流を汲むフォークナー(『響きと怒り』)は、たとえばアナール学派が設定したような問題意識から、過去の歴史を物語ろうとします。文化人類学、社会学の分析枠組みを導入し、世相史や社会史の記述を試みたり、ミクロなアクターの視点・現象からの記述やマクロなシステムの構造的考察といったアプローチを試み、従来の歴史学における事件史、人物史のような形の分析に異議申しだてを計りました。
フォークナーの文学は、「意識の流れ」の手法もそうですが、ミクロなアクターの一人称的視点のリアリズムを小説世界に展開し、特定のトポスに焦点を当てることで、単なる中央の政治的アクターによる事実の羅列たる事件史とは異なった、アメリカ民衆史、社会史としての歴史文学をそこに展開しようと試みます。
大江健三郎もまたフレイザー『金枝篇』などの影響の下、本作品で、歴史の中のミクロなアクターや特定のトポスに焦点を当て、そこにおける時間軸の中での実践を記述することで、人間の暴力性、加害性のような現象の起こる背景について、その構造的記述、理解を試みようとします。
またそれに加えて、『金枝篇』のように、先の世代から次の世代へと魂が継承されていく物語としてこの三部作シリーズは展開されています。
輪廻と時間論の文化人類学
前前作『懐かしい年への手紙』では「永遠の夢の時」という輪廻や運命のテーマを扱いました。これははるかな昔の 「永遠の夢の時 」に重大な全てが起こり、いま現在の時は、それを繰りかえしているにすぎないという考え方です。「永遠の夢の時」は柳田國男の用語から「懐かしい年」とも言い換えられます。この辺りは文化人類学に着目する『同時代ゲーム』との関係が伺えます。
前作『燃え上がる緑の木』では『懐かしい年への手紙』で死んだギー兄さんの存在を継承する新しいギー兄さんが現れ、それがまた死の運命を迎えるという流れが描かれます。
輪廻、転生のモチーフはまずT=S=エリオット『荒地』が先駆としてあります。この下敷きとなった文化人類学者フレイザー『金枝篇』が、ネミの森の王殺しの儀式の伝統に対して、自然の輪廻と転生のサイクルを維持するためという解釈を与えています。サリンジャー『ナイン=ストーリーズ』などにもその影響が伺えます。中上健次『千年の愉楽』、三島『豊饒の海』シリーズ(1.2.3.4)、押井守監督『スカイ・クロラ』などにも、モダニズムの余波としての転生モチーフが見えます。
そして本作『宙返り』が描くのは、魂の輪廻が繰り返され、先の世代から後の世代へと、志や精神が継承されていく姿です。二代目ギー兄さんの未亡人サッチャンとその息子ギーは、「救い主」(「師匠」)と「預言者」(「案内人」)の教団に合流し、ギーはギー兄さんや「救い主」(「師匠」)「預言者」(「案内人」)の魂を継承していきます。教会はギー少年を後継者として継承され、テン窪の大檜を焼き尽くすことをサッチャンが提案し、テン窪大檜の焼失はフレイザー『金枝篇』の森の王殺しに似た、次の世代への魂の継承を象徴します。
タルコフスキー監督『ストーカー』と案内人
瞑想をする「師匠(パトロン)」と、「師匠」が瞑想でみてきたビジョンをわかりやすい言葉に翻訳をする「案内人(ガイド)」の教団が物語の中心です。「救い主」(「師匠」)と「預言者」(「案内人」)という名前でしたが、海外のメディアが「師匠」「案内人」の呼称を広めました。
この「案内人」という名前には、タルコフスキー監督『ストーカー』の影響が見えます。『静かな生活』でもストルガツキー兄弟が手掛け、アンドレイ=タルコフスキー監督が映画化した『ストーカー』(ストルガツキー兄弟の原作も)に関して家族で論じ合う場面があります。『ストーカー』は原作と映画でやや趣が違い、映画の方が神学的主題が強いのですが、『静かな生活』はもっぱら映画の方を中心に取り上げています。『治療塔』シリーズ(1.2)もこの影響が顕著です。
また本作に先駆けて「夢の師匠」(『僕が本当に若かった頃』)という作品があって、夢を見る人とそれを解釈する人というモチーフはそこから継承しています。
物語世界
あらすじ
木津というアメリカの大学で美術を教えている画家が日本に戻ります。
瞑想をする「師匠(パトロン)」と、「師匠」が瞑想でみてきたビジョンをわかりやすい言葉に翻訳をする「案内人(ガイド)」の教団は多くの信者を集めていたものの、急進派の人たちが無差別テロを計画し、それを知った「師匠」と「案内人」は「自分たちの行いはすべて冗談だった」と宣言、それは「宙返り」と呼ばれました。それから十年後、「師匠」の廻りには「踊り子(ダンサー)」と呼ばれる女性秘書、同時代史を書こうとする荻青年、神の声を聞いたことがあり、育男という人々がいます。そんな中、「案内人」が元急進派によって殺されます。木津は育男の美しさに魅せられ、教団に接近します。
さらに立花姉弟が加わります。弟の森生は知的障害者ですが、音楽の才能があります。
教団は四国の谷間の村に移ることになり、『燃え上がる緑の木』の教会の施設と農場を師匠(パトロン)が「新しい人」の教会を開くために譲り受けます。「新しい人」の教会には師匠(パトロン)を中心に「宙返り」後の十年間祈りと悔い改めの信仰を守る「静かな女たち」のグループと、かつて案内者(ガイド)に育てられ、そして案内者(ガイド)を死に追いやった「急進派」の集団がいます。その周辺には教会に施設と農場を譲った二代目ギー兄さんの未亡人サッチャンとその息子ギー、施設を管理してきたアサさん、不識寺の松男さんなどもいます。谷間の村には青少年のグループ「童子の蛍」があり、ギー少年はそこのリーダーです。
教団は発展するものの、八月の集会で「静かな女たち」が集団自決をすることが判明し、それを止めた「師匠」は立花姉弟とともに焼身自殺します。
教会はギー少年を後継者として継承されます。木津も「師匠」の死後、癌により静かな死を迎えます。テン窪の大檜を焼き尽くすことをサッチャンが提案し、物語はテン窪大檜の焼失とともに幕を閉じます。
参考文献
小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)



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