始めに
鴎外『ヰタ・セクスアリス』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
語りの構造
本作は異質物語世界の語りと等質物語世界の語り手の併存で、枠物語的な語りになっています。
異質物語世界の語りの外枠のなかに、金井の手記が展開され、手記の書き手の金井に語り手が移ります。
高踏派の作家
森鴎外は、高踏派の作家とされています。
これは“l’école parnassienne”の,上田敏の訳語で『現代高踏詩集』(Le Parnasse contemporain)の詩人のことです。芸術のための芸術たる芸術至上主義を唱道したゴーティエとルコント・ド・リールの下に詩人集い、この詩華集が刊行されたのでした。
鴎外もこうした詩人の翻訳を手がけて影響されたため、高踏派と呼ばれます。
高踏派は傾向としてロマン主義、象徴主義の特徴があり、主知主義的な理想主義をテイストとしています。
本作も高踏派の理想主義の立場から、自然主義を批判します。
自然主義
本作は自然主義を批判する趣旨の内容です。エミール=ゾラ(『居酒屋』『ナナ』)の自然主義は、医学や遺伝学などの自然科学や社会学に立脚して、人間社会の構造的把握と記述を試み、日本へと継承されました。
とはいえ藤村(『家』『破戒』)や独歩(「竹の木戸」『武蔵野』)、花袋(『蒲団』『一兵卒の銃殺』)など、日本の自然主義の作家でも作風はまちまちで、だいたいゾラも晩年は自然主義から空想的社会主義小説へと移ったり、弟子のユイスマンスも自然主義を離れたりしています。ゾラの自然主義の理論書『実験小説論』からして大まかな理想を示すもので方法論としてはプリミティブでざっくりした方向性を示すものでしかないため、本人や自然主義のフォロワーも傾向がキャリアのなかでまちまちになります。
たとえば日本の自然主義の作家田山花袋(『蒲団』『一兵卒の銃殺』)は、「露骨なる描写」で、ロマン主義的意匠ではしばしば捨象されてしまうネガティブなものの醜悪さが喚起するエモーションに着目し、それを「蒲団」では、嫉妬と性欲の醜悪さ、醜さの崇高さとして展開しています。
藤村もゾラなどの影響を受けつつ『破戒』などでは、ゾラがルーゴン・マッカール叢書で試みたような社会の暗い現実を批判的に描こうとしました。
自然主義パロディとして
本作は自然主義のパロディになっています。花袋の作品でも性欲がしばしばモチーフにされました。また、ロマン主義的な理想主義的脚色へのアンチテーゼとして、実体験を赤裸々に展開する私小説を「蒲団」などに展開しました(実際は、結構脚色もおおいですが)。
例えば自然主義パロディの四迷『平凡』でも、実際にあったことをありのままダラダラ書くものを自然主義と捉えて、批判的にそれを翻案しています。このあたりは現実ありのままを再現しようとする自然主義への風刺が見えます。とはいえ藤村『破戒』や花袋「蒲団」や独歩「竹の木戸」(これは『平凡』よりあとの作品ですが)など、結構ドラマチックで起伏に富んでいて、批判がクリティカルかは微妙です。
本作も自然主義の自伝的側面や、性的モチーフの要素を、ロマン主義、理想主義の立場から批判的に展開していて、最後に金井という手記の書き手は、手記にはなんら価値がないと封印します。
パロディとしての微妙さ
ただあまりパロディとしてうまくいってるかは微妙で、テーマとしては性にまつわる赤裸々な手記になんら価値を認めないところからジャンルパロディではあるものの、むしろ自伝的な側面やその性愛に纏わる内容から、凡庸な自然主義、私小説としてのテイストも強いです。
それでそもそも森鴎外とか芥川龍之介みたいな純朴な性愛観の人が性愛を中心に自伝を展開してもあまり面白くなりようがないのですが、本作もぱっとしない内容です。
思うにゾラ以降の自然主義が結構傾向としてまちまちな内容で日本においても理念もさまざまであったところ、それに対するクリティカルな批判が難しくなり、本作も自然主義批判のテーマとしては中途半端な混ぜっ返しになっています。
物語世界
あらすじ
哲学教師である金井湛は、自然主義の小説に、必ず性的描写が伴うことに疑問を感じます。そしてそう考える自分は性欲に冷淡ではないのだろうかと思います。そこで、高等学校を卒業する長男への教育も兼ねて、自身の性的体験を綴ります。
金井湛が6歳のとき、近所の未亡人と知らない娘が春画を見ているのを目にします。金井にはそれが何かわからず、不快に思います。
やがて10歳になった金井は、蔵で綺麗な一冊の本を見つけます。それもやはり、春画の類でした。
11歳。東京にある私立のドイツ語学校に入った金井は、男色を知ります。学校の寄宿舎では上級生による男色があり、金井も上級生のターゲットにされます。
13歳で東京英語学校へ入学。寄宿舎で金井は、性的な視点から周りを観察し、生徒達が女性を求める軟派、少年を愛する硬派の2派閥に分かれているのに気付きます。幸いなことに同室者は軟派の男でした。しかし、「軟派」生徒たちは成績が悪く、その多くが年末試験で退学処分になります。寄宿舎の部屋割りも変わり、金井の新たな同室者は古賀という「硬派」の男です。
しかし古賀には下心はありません。古賀の友人である児島も加わって、禁欲を良しとする「三角同盟」を結成。勢いで吉原に行くこともあったものの、女遊びはしません。
初めて金井が女性と一夜を過ごしたのは20歳で、相手は知人に連れていかれた吉原の遊女でした。
これが自身の性欲史でしたが、発表するに値せず、性教育として息子に読ませる価値もないと考え、金井は手記に「ヰタ・セクスアリス」と名前を付けて、机の中に投げ入れます。
参考文献
・小堀桂一郎『森鴎外: 日本はまだ普請中だ』



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