始めに
先日、村上春樹の新作が発表されました。その記念ということで、村上の代表作『ノルウェイの森』について、レビューを書いていきたいと思います。
語りの構造、制作背景
等質物語世界の「僕」。後置的な語り
この作品は等質物語世界の30代の「僕」=ワタナベトオルが、ビートルズ「ノルウェイの森」を聴いたことで思い出した過去が、後置的に物語られています。
回想される過去は自殺した女性直子といた大学生くらいの頃のことです。
自殺の謎をめぐるドラマ。タイトルの意味
タイトルになっているビートルズ「ノルウェイの森」は、一晩関係を持とうとして逃げられて、それきり消え失せてしまった女性を歌った、不倫に関するナンセンスでコミカルな曲で、それは作中の直子の象徴となっています。直子はワタナベの旧友・キズキの元恋人で、キズキは10代で自殺したのでした。直子はワタナベとも関係を持ち、1970年の夏に自殺しました。また『1973年のピンボール』にも、直子の死は描かれます。
直子は、ワタナベにとって、「ノルウェイの森」の女の子のように、心をとらえきれないまま、遠くへと逃げられてしまった女性です。『1973年のピンボール』のピンボールと同じく、「ノルウェイの森」は直子を象徴します。
この作品はサリンジャー『ナイン=ストーリーズ』、夏目漱石『こころ』のような、自殺の謎をめぐる小説になっています。直子が死んだ理由は、キズキが自殺したことによるPTSDとも考えられますが、正確なところはわからないのです。「僕」の語りは、その答えをどこかに探しているようでもありますし、読者に尋ねかけているようでもあります。
パストラル(田園詩)と隠者の文学
この作品は堀辰雄『風立ちぬ』のパロディのようであり、『風立ちぬ』のようなパストラル風の情景描写がなされています。パストラルとはざっくりいうと、田舎(とくに田園地域)を舞台としたメロドラマで、ロマン主義的な情景描写が特徴です。
古代から韻文としてある芸術ジャンルですが、中世から近世にかけて散文としてパストラルロマンス、パストラルドラマが定着していき、シェイクスピア『お気に召すまま』などが有名です。ラファエル前派などのギリシア=ローマルネサンスがあったり、フロイトに理論を負うシュルレアリスムの中でも肉体的身体的な表現が重要な要素とされるなど、モダニズム以降もパストラルに着目する契機が生まれました。
日本では西脇順三郎の作品などが知られます。そうしたロケーションの中で、女性の裸体などの性的なモチーフが現れます。ギリシア=ローマのパストラルのモードの中に置かれることで、性的モチーフも幾分相対化されています。
また、本作のそうした地方の表象は鴨長明『方丈記』など隠者文学も手伝い、エッセイ『八月の庵―僕の「方丈記」体験』が源流にあります。
『八月の庵―僕の「方丈記」体験』
『八月の庵―僕の「方丈記」体験』というエッセイがあって、本作の背景です。
『八月の庵―僕の「方丈記」体験』によると国語教師であった村上の父親は、著者が小学生の頃、学生を集めて俳句サークルをやっていて、ときおり句会を兼ねた遠出をしていたそうです。松尾芭蕉が隠棲した滋賀県大津市にある「幻住庵(げんじゅうあん)」で句会が行われた際、村上も何度か連れていかれたそうです。句会が行われている間、著者は一人で縁側に座り、外の景色を眺めつつ「人の死」について思索しました。「死はそれまでの僕の生活にほとんど入り込んでこなかった。」「しかしその庵にあっては、死は確実に存在していた。それはひとつの匂いとなり影となり、夏の太陽となり蟬の声となって、僕にその存在を訴えかけていた。死は存在する、しかし恐れることない、死とは変形された生に過ぎないのだ」と。
これが短編「螢」のテーマになっていて、「螢」が『ノルウェイの森』の原型です。
「螢」
本作の原型は、短編「螢」です。
「螢」では、1967年の春から翌年の秋にかけて、「僕」は文京区にある学生寮の二人部屋に住んでいました。清潔好きな同居人と一緒でした。5月の日曜日の午後、「僕」は中央線の電車の中で高校時代の友人の恋人と出会います。彼女は当時、女子大生でした。友人の死後、「僕」の中にぼんやりした空気のようなものが残り、やがて死は生の対極でなくてその一部として存在していると意識します。年が明けて6月に彼女は二十歳になり、誕生日の日の夜、「僕」は彼女と寝ます。彼女に長い手紙を書くと、7月の始めに返事があって、「大学を休学し、京都の山の中にある療養所に落ちつくことにする」と伝えられます。7月の終り、インスタントコーヒーの瓶に入れた螢を「僕」は同居人から受け取ります。「僕」は夕暮、その瓶を持って寮の屋上に上がります。やがて「僕」は蛍を放とうと、給水塔の縁に蛍を置き、見守ります。まるで息絶えてしまったみたいに動かなくなった蛍を、「僕」は待ち続け、ついに蛍は「僕」の元を飛び去ります。
ここにおいて、螢とは『ノルウェイの森』の直子にあたる彼女の象徴で、その儚い命と魅惑的な光は、彼女の特徴を伝えていて、その光に触れることのできないまま逃げられてしまった僕は、彼女を喪失するのでした。「螢」では療養所に入った彼女のその後は暗示されるばかりですが、『ノルウェイの森』ではそれからのことと直子の死が語られます。
死と性、エロスとデス
本作は、このように原型となった作品が「生の一面としての死」をテーマにしていたのですが、本作においてもそうしたテーマは継承されています。全体としては直子の自殺という「死」と、さまざまな異性との性的交渉という「性」と「生」とが中心的に描かれています。
本作のエロティックな描写は有名で、そういう側面も手伝ってベストセラーとなりました。
物語世界
あらすじ
37歳のワタナベは、ハンブルク空港に到着した飛行機でビートルズの「ノルウェイの森」を聴き、学生時代のことを回想します。
直子とはじめて会ったのは神戸にいた高校2年のときで、直子はワタナベの友人キズキの恋人でした。キズキは高校3年の5月に自殺します。その後、ワタナベはある女の子と付き合ったものの、彼女を置いて東京の私立大学に入学し、右翼的な団体が運営する学生寮に入ります。
1968年5月、ワタナベは、中央線の電車で偶然直子と再会します。二人は休みの日に会うようになります。
10月、同じ寮の永沢と友だちになります。永沢は外務省入りを目指す2学年上の東大生で、ハツミという恋人がいたものの、ナンパが趣味でした。
翌年の4月、直子の20歳の誕生日に彼女と寝ます。その直後、直子は部屋を引き払いワタナベの前からいなくなり、7月になって直子からの手紙が届き、「今は京都にある精神病の療養所にいる」と伝えられます。その月の末、同室の学生がワタナベに、螢をくれます。
夏休みの間に、大学に機動隊が入りバリケードが破壊されます。ある日、小さなレストランで同じ大学の緑から声をかけられます。やがて緑とときどき会うようになります。
直子から手紙が来て、ワタナベは京都の山奥にある療養所まで彼女を訪ねます。そして同室のレイコに泊まっていくよう勧められます。レイコは直子のリクエストで「ノルウェイの森」などを弾きます。
ある日曜日、ワタナベが緑に連れられて大学病院に行くと、彼女の父親が脳腫瘍で入院していたものの、数日後に亡くなります。
ワタナベの20歳の誕生日の3日後、直子から手編みのセーターが届きます。冬休みになり、再び療養所を訪れます。
1970年、ワタナベは学生寮を出て、吉祥寺郊外の一軒家を借ります。4月初め、レイコから直子の病状が悪化したことを手紙で知らされます。緑は元気のないワタナベに「人生はビスケットの缶だと思えばいいのよ」と言います。
6月半ば、ワタナベは緑から恋人と別れたことを報告されます。
8月26日に直子は自殺し、葬儀の後でワタナベは放浪します。1か月経って東京に戻ると、レイコから手紙があり、レイコは療養所を出ることにしたそうです。
東京に着いたレイコを自宅に迎えると、彼女は直子の遺品の服を身に着けています。風呂屋から戻ると彼女は、直子の葬式をやり直そうと言い、知っている曲を弾いていき、50曲目に「ノルウェイの森」を弾きます。その後レイコとワタナベは性交をします。
翌日、旭川に向かうレイコを上野駅まで送ります。ワタナベは緑に電話をかけ、「世界中に君以外に求めるものは何もない、何もかもを君と二人で最初から始めたい」と告げます。
登場人物
- ワタナベトオル:37歳。語り手であり主人公。キズキ、直子を自殺で失う。
- 直子:キズキの元恋人。ワタナベと関係を持つ。1970年に自殺する。
- 緑:ワタナベの知り合い
- 永沢:ワタナベの友人。『グレート=ギャッツビー』を好む。
- レイコ:直子が入院した阿美寮の同室。
関連作品、関連おすすめ作品
・村上春樹『1973年のピンボール』:直子の自殺をめぐるドラマ。
・三島由紀夫『潮騒』、大林宣彦監督『廃市』(福永武彦『廃市』):日本版パストラル
・夏目漱石『こころ』、大江健三郎『取り替え子』:自殺の謎をめぐる物語。
参考文献
ポール=オースター、村上春樹他『ナイン=インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』(アルク.2004)




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