始めに
マイケル・ムアコック『この人を見よ』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ムアコックの作家性
ムアコックの初期の情熱は、19世紀末から20世紀初頭の冒険作家たちに向けられていました。『火星のプリンス』などのバローズ作品は、ムアコックが10代の頃に最も熱中した対象の一つです。彼の初期作品に見られる異世界冒険のプロットには、バローズの強い影響が見て取れます。ロード・ダンセイニの詩的で神話的な文体は、ムアコックのハイ・ファンタジーにおける描写力に寄与しています。ロバート・E・ハワード は英雄コナンシリーズの生みの親です。ムアコックは後にハワードを批判することもありましたが、剣と魔法というジャンルの枠組みにおいて、ハワードの躍動感ある文体は避けて通れない影響源でした。
マーヴィン・ピークは 『ゴーメンガースト』三部作の著者ですがムアコックはピークを20世紀最大の作家の一人と称賛しており、緻密な舞台設定やグロテスクで象徴的なキャラクター造形において、ピークから多大な影響を受けています。ドイツの劇作家であるブレヒトの異化効果という概念は、ムアコックの物語技法に深く組み込まれています。
ポール・アンダースンの『折れた剣(The Broken Sword)』は、エルリック・シリーズのダークな雰囲気や、北欧神話をベースにした悲劇性に直接的な影響を与えたと言われています。ファファード&グレイ・マウザーシリーズで知られるフリッツ=ライバーとは、ソード&ソーサリーの現代化という側面で共鳴し合っていました。
ムアコックはトールキンの保守的な世界観をクマのプーさんのファンタジー版と切り捨て、そのカウンターとして、より退廃的で混沌とした、運命に翻弄されるアンチ・ヒーローを生み出しました。
キリスト教パロディ
テーマは、イエス・キリストという神話は、歴史的な必然性によって生み出された空虚な器であるという視点です。主人公カール・グローガウアーが過去で出会った本物のイエスは、奇跡を起こす救世主ではなく、精神に障害を抱えた無力な男でした。しかし、民衆が救世主を渇望し、歴史がその形を求めているとき、誰かがその役割を演じなければなりません。カール自身がその配役に収まっていく過程は、個人の意志を超えた神話の構造的強制力を描いています。
物語は、カールが過去へ行くことでキリストになるというループを描いています。カールは自らの意志で過去へ行きますが、結果としてすでに書かれた聖書の物語をなぞることになります。救世主として振る舞うカールの行動は、彼自身の信仰や志ではなく、歴史という台本に従ったものです。ここには、人間は歴史や運命の歯車に過ぎないという、ムアコック特有の冷徹な決定論が横たわっています。
タイトルの意味
この物語は一人の男の個人的な精神分析記録でもあります。カールは現代社会において、母との関係や自らのアイデンティティに深く悩み、精神的な救済を求めていました。彼がイエス・キリストになろうとしたのは、彼自身の内なる空虚を埋めるための究極の自己犠牲であり、ある種の誇大妄想的な自殺願望の成就とも読み取れます。
タイトルの「Behold the Man」は、ポンテオ・ピラトが群衆の前にイエスを引き出した時の言葉ですが、本作では複数の意味を持ちます。神ではなく、ただの脆弱な人間(カール)を見よ。神話を必要とする人間の悲しい本性を見よ。自らの妄執に飲み込まれていく個人の精神を見よ。
ムアコックは、キリスト教的な奇跡を徹底的に排除し、代わりに心理学的な必然と社会的な要請によってイエスを作り上げました。本作は、救世主という存在を、神聖なものではなく歴史の裂け目を埋めるために動員された人間として描き出した点に、その真骨頂があります。
物語世界
あらすじ
主人公カール・グローガウアーは、精神的に不安定で、自身のアイデンティティに強い不全感を抱えた男でした。彼はキリスト教や精神分析に深く依存しながらも救われず、知人の科学者が発明したタイムマシンに乗り込みます。彼の目的は、歴史上の本物のイエス・キリストに出会い、自分自身が救われることでした。
カールの乗ったマシンは紀元28年のナザレ近郊に墜落します。そこで彼が目にしたのは、聖書に描かれたような神々しい救世主ではありませんでした。実在のイエスは、知的障害を抱え、ただ「イア、イア」と無意味な言葉を繰り返すだけの、意志疎通もままならない無力な男だったのです。聖母マリアは、その息子を疎ましく思うだけの冷淡な女性でした。
歴史が教える救世主がどこにも存在しないという事実に直面したカールは、ある狂信的な決意を固めます。歴史が救世主を必要としているのなら、自分がイエスにならなければならない。カールは現代の医学知識で病人を治療し、聖書の記述をあらかじめ知っていることを利用して、数々の予言や説教を行いました。彼は、歴史という巨大な空隙を埋めるために、自分自身をイエス・キリストという鋳型に流し込んでいったのです。
カールは意図的に弟子を選び、彼らに自分の教えを叩き込みます。そして物語の結末、彼は自らユダに裏切らせ、受難の道へと進みます。十字架にかけられたカールは、死の間際、苦痛の中で絶叫します。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜ私を見捨てられたのですか)」と。しかし、実際に彼の口から出たのは、アラム語ではなく現代英語の絶叫でした。周囲の人々には、その言葉の意味は理解できません。しかし、歴史はその叫びを聖なる救世主の言葉として記録していくことになります。
カールの遺体は、彼が飲んでいた現代の薬物やタイムマシンの影響からか、腐敗せずに消え去ってしまいます。それが後の復活の伝説へとつながり、歴史の円環は完全に閉じられます。



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