始めに
ナタリー=サロ―ト『トロピスム』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
サロ―トの作家性
サロートにとってプルーストは、内面の微細な動きを捉えようとした先駆者でした。しかし、サロートはプルーストの記憶や分析の側面よりも、意識下に生じる名付けようのない微小な反応に注目しました。彼女は、プルーストが切り拓いた心理的リアリズムを、さらに微視的なレベルまで推し進めようとしたと言えます。
ジョイス『ユリシーズ』などで展開された意識の流れは、サロートに大きな衝撃を与えました。彼女はジョイスを、人物の個性が消失し、言葉そのものが主役となる現代文学の起点として評価しています。
ヴァージニア=ウルフ『波』に代表されるウルフの詩的で流動的な文体は、サロートの文体に直接的な影響を与えています。
サロートは、ドストエフスキーの登場人物たちが抱える矛盾した感情の激しい揺れや、他者の視線に過剰に反応する心理状態を高く評価していました。言語の正確さと、通俗的な観念に対する冷徹な視線において、サロートはフローベールの後継者でもあります。
トロピスム
概念としてのトロピズム(屈性)はもともと生物学の用語で、植物が光などの外部刺激に対して無意識に反応する屈性を指します。サロートはこの概念を心理学に応用しました。私たちが他者と接する際、あるいは言葉を発する直前に、意識の底でうごめく名付けようのない素早い動きとしました。 意識がそれを捉え、言葉によって固定される前の、流動的で本能的な反応です。
サロートの文学における核心的なテーマの一つが、表面的な会話の裏側で進行している心理的な攻防です。登場人物たちが交わす当たり障りのない日常会話の裏で、恐怖、拒絶、羨望、同化への欲求といった激しいトロピズムが交錯しています。相手の言葉の端々に反応し、縮こまったり、攻撃的に膨らんだりする人間の心理的物質としての動きが描かれます。
この作品には、固有の名前を持ったキャラクターはほとんど登場しません。「彼」「彼女」「彼ら」といった代名詞で語られます。 サロートにとって、社会的な属性はトロピズムを観察する上での不純物です。誰の中にも共通して存在する、原始的で剥き出しの反応を抽出するために、あえて登場人物を匿名化しています。
トロピズムは言葉にされた瞬間にその鮮度と流動性を失い、ありふれた感情へとラベル貼りされてしまいます。言葉になる手前の、いわば意識の揺らぎをいかにして言語で表現するかというパラドックスが、作品全体の緊張感を生んでいます。短い断章形式で構成されており、具体的な説明を排して、読者の感覚に直接訴えかけるような描写がなされています。
物語世界
あらすじ
パリの街角、喫茶店、アパルトマンの室内、あるいはショーウィンドウを眺める人々といった、極めてありふれた光景が舞台になります。「彼」「彼女」「彼ら」といった代名詞のみで呼ばれる人々が登場します。彼らに固有の名前や過去、職業などの設定は一切ありません。
例えば、年老いた女たちがティーカップを囲んで無駄話をする、男が静かな部屋で何かに怯える、群衆がショーウィンドウを凝視するといった、動きの少ない静かな場面ばかりです。物語の代わりに読者が目撃するのは、登場人物たちの間で交わされる言葉にならない攻防です。誰かが発した一言や、ふとした視線に対し、相手の心が植物のように光へ向かったり、あるいは触れられたくない部分を守るために縮こまったりする様子が描かれます。
表面上はいいお天気ですねといった退屈な会話が続いていても、その下層では、相手を支配しようとする欲望や、同化されることへの恐怖が渦巻いています。




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