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サマセット=モーム『赤い酋長の身代金』解説あらすじ

サマセット=モーム
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始めに

 サマセット=モーム『赤い酋長の身代金』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

モームの作家性

 O=ヘンリーの作品の多くは、ニューヨークを舞台にします。

 オー・ヘンリーとよく比較されるのがモーパッサン、モームで、いずれもどんでん返しの巧みなプロットの光る短編を特徴とします。モーパッサンの作品も庶民の苦悩を描き、どんでん返しの結末を描きますが、社会批判としての色彩はモーパッサンのほうがモームやオー=ヘンリーよりも強い感じです。本作も、そのようなプロットの手腕が光ります。

 ​​アメリカ文学の父としてのトウェインも、彼の文体に大きな影を落としています。誇張法や皮肉、そして市井の人々への温かな眼差しは、トウェインの伝統を継承しています。地元のスラングや日常会話を巧みに取り入れ、物語にリアリティと活力を与える手法に影響が見られます。


​ ​オー=ヘンリーが西部劇的な設定の物語を書く際、先行者であるブレット=ハートの影響は避けられませんでした。特定の土地の空気感を物語の重要な要素にする手法です。荒くれ者や泥棒、賭博師といった社会の周辺に生きる人々の美徳を掘り起こす姿勢は、ハートからの影響が色濃い部分です。


​ ​オー・ヘンリーは少年時代からディケンズを熱心に読んでいました。大都会の雑踏に埋もれた無名の市民たちのドラマを拾い上げる視点は、非常にディケンズ的です。格差や制度の矛盾を鋭く突きつつも、最終的には人間愛を信じる物語のトーンにその影響が感じられます。

立場の逆転

​ この物語の面白さは、誘拐犯が被害者の子供に振り回され、最終的に立場が完全に逆転してしまう点にあります。​当初、ビルとサムは簡単に身代金を手に入れられると考えていましたが、実際には10歳の少年ジョニー(赤毛の大将)の無邪気な残酷さとエネルギーに圧倒され、精神的に追い詰められていきます。


​ ​楽をして金を稼ごうという人間の浅はかな計画が、予想外の要因によって崩れ去るという、オー・ヘンリーらしい皮肉が込められています。

 ​大人の論理や計算が、子供の圧倒的な想像力と活力の前では全く通用しないというテーマも読み取れます。​ジョニーにとって、誘拐はキャンプごっこであり、日常からの楽しい脱出にすぎません。大人が勝手に作り上げた犯罪という枠組みを、子供の純粋さが粉砕していく様子が描かれています。​悪事を働こうとした者が、自らの行動によって自滅するという教訓的な側面もありますが、オー・ヘンリーはそれを説教臭くなく、あくまでユーモラスに描き出しています。

物語世界

あらすじ

 舞台はアラバマ州の静かな町。小悪党のサムとビルの二人は、土地転がしの資金にするため、町の資産家ドーセット家の一人息子、10歳のジョニーを誘拐します。彼らの計画は2000ドルの身代金をせしめて、さっさとトンズラするという、至ってシンプルなものでした。


​ ​ 二人はジョニーを洞窟に連れ込みますが、ここから計画が狂い始めます。ジョニーは怖がるどころか、自分が誘拐されたことをキャンプごっこだと思い込んで大喜び。​自らを「赤毛の大将(レッド・チーフ)」と名乗り、サムを「蛇の目」、ビルを「オールド・ハンク」と命名します。インディアンごっこと称して、見張りのビルを執拗に攻撃し、頭皮を剥ごうとしたり、熱々のジャガイモを背中に入れたりと、誘拐犯を虐待し始めます。


​ ​数日後、本来なら優位に立っているはずのビルは、ジョニーの底なしの体力とわんぱくぶりに精神を病んでしまいます。身代金はいらないから、このガキを返してやりたいと弱音を吐く始末。二人はしぶしぶ身代金を1,500ドルに値下げして父親に手紙を書きますが、届いた返信は予想外のものでした。「お前たちの提案には同意しかねる。だが、250ドル払うなら、息子を引き取ってやってもいい。ただし、近所の連中も怒っているから、連れてくるなら夜中にしろ。」と。


 ​普通の誘拐犯なら激怒するところですが、ジョニーに限界まで追い詰められていた二人は、この条件は安いと大喜びで飛びつきます。


 二人は自分たちが誘拐した子供を返すために、逆に250ドルを父親に支払い、夜闇に紛れてジョニーを返却。自分たちを追ってこようとするジョニーから逃げるため、全速力で町から逃げ出したのでした。

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