始めに
マーティン=エイミス『関心領域』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
マーティン=エイミスの作家性
マーティン=エイミスはイギリス人でありながら、自身の文学的ルーツの多くをアメリカ文学に求めていました。
ソール=ベローはエイミスが崇拝した人物です。ベローの高尚な知性と低俗な街の活気を融合させる文体は、エイミスのの骨格となりました。
ナボコフからは、言語的遊戯、信頼できない語り手の手法を学びました。
キングズレー=エイミスは実の父親であり、戦後イギリスを代表する作家です。父キングズレーは平易で写実的な文章を好んだのに対し、息子マーティンは過剰で実験的な文章へと向かいました。フィリップ=ラーキンは父の親友であり、詩人でした。このラーキンからも影響を受けています。
関心領域とは
哲学者ハンナ=アーレントが提唱した「悪の凡庸さ」を、エイミスはさらに残酷な形で描き出しました。大虐殺が行われているすぐ隣で、加害者たちは「出世」「不倫」「家庭の悩み」「庭の手入れ」といった、極めて平凡で通俗的な悩みを持って生きています。壁の向こうから聞こえる悲鳴や銃声を背景音として処理し、美しい庭でプール遊びを楽しむ家族の姿を通じ、人間がいかに容易に他者の苦しみに無関心になれるかを浮き彫りにします。
エイミスは本作で、ナチスがいかに言葉を使って現実を隠蔽し、自らの良心を麻痺させたかに注目しています。虐殺を「特別処理」、死体を「荷物」、収容所を「関心領域」と呼び、官僚的な専門用語や婉曲表現を用いることで、言葉が現実の道徳的意味を剥ぎ取ってしまう恐怖を描いています。
登場人物の一人である収容所所長(ルドルフ=ヘスがモデル)などを通じて描かれるのは、狂気というよりも徹底した空虚さです。エイミスは、悪の根源には高尚な思想などなく、ただただ浅薄で中身のない人間たちが、システムの中で歯車になった結果であるという絶望的な結論を提示しています。
物語世界
あらすじ
第二次世界大戦中のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(「カツェット」)。物語は、収容所の運営に関わる3人の独白で進みます。
アンゲルス=トムセンの視点はナチスの高官マルティン=ボルマンの甥であり、収容所内の工場建設を担当するハンサムな将校です。彼は収容所の所長ポール=ドールの妻、ハンナに横恋慕し、彼女を誘惑しようと画策します。地獄のような環境下で不倫の駆け引きに興じる彼の姿は、この場所がいかに道徳的に崩壊しているかを象徴しています。
ポール=ドールの視点は収容所所長(実在のルドルフ=ヘスがモデル)です。彼は「効率的な大量殺戮」を遂行する官僚的な男ですが、家庭内では妻に軽蔑され、過度の飲酒に溺れています。彼は自分の仕事を崇高な義務と信じ込もうとしていますが、その独白は支離滅裂で、自己正当化の滑稽さと恐ろしさが描かれます。やがて彼は、妻とトムセンの関係を疑い、陰湿な復讐を企てます。
シュムールの視点は「ソンダーコマンド(ガス室での死体処理などを強制されるユダヤ人グループ)」のリーダーです。前の二人とは対照的に、彼は地獄の底を歩く者の視点を提供します。彼は、ナチス側の滑稽な愛憎劇を冷徹に見つめながら、自分が生き延びるために悪に加担せざるを得ない絶望と、それでも失われない人間性の欠片を必死に守ろうとします。
収容所の「効率化」が進むにつれて、3人の運命が絡み合っていきます。ドールは、トムセンへの復讐として、彼に「ハンナを殺害せよ」という不可能な命令を下そうとしたり、収容所の証拠隠滅のために狂奔したりします。彼の思考は完全に理性を失い、自己憐憫と殺意が入り混じった状態になります。
トムセンは、伯父である有力者ボルマンの威光を背に、ドールを冷笑し続けます。彼はナチスの理想など信じておらず、ただ自分を守りながらハンナを救おう(あるいは手に入れよう)と動きます。
戦後、1948年のドイツ。パウル=ドールは戦犯として捕らえられ、処刑されます。彼は最後まで自分の罪を認めず、「自分はただ命令に従い、義務を果たしただけだ」という主張を繰り返しました。
生き延びたトムセンは、夫を亡くしひっそりと暮らすハンナを訪ねます。彼は収容所時代から抱いていた彼女への「愛」を成就させようとします。しかし、ここで決定的な拒絶が起こります。
ハンナはトムセンに対し、あの場所(収容所)で生まれた感情はすべて「偽物」であり、あの異常な環境下でしか成立し得ないものだったと告げます。彼女にとってトムセンは、地獄を共有しただけの忌まわしい記憶の一部に過ぎませんでした。
物語の端々で挟まれるシュムールの独白は、彼が命を落とした後に発見された「埋められた手記」であることが示唆されます。彼の視点は、ナチス側の虚飾に満ちた言葉を剥ぎ取り、真実の惨状を歴史に刻む役割を果たします。




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