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サミュエル=バトラー『エレホン』解説あらすじ

サミュエル=バトラー
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はじめに

 サミュエル=バトラー『エレホン』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

ユートピア文学

 本作はエレホンという、架空のユートピア世界を描くユートピア、ディストピア文学です。

 ユートピアという言葉は、1516年に出版されたイギリスの思想家トマス=モアの著作『ユートピア』(Utopia)で初めて用いられました。ユートピアという言葉は、ギリシア語の outopos(存在しない場所)と eutopos(良い場所)の両者を踏まえ、理想的な国家に関する両義的で皮肉なモデルをそこで提起しました。これがその後のユートピア文学、ディストピア文学のモードに影響します。

 一見エレホンはユートピアのようにみえるもののそうでもなく、オーウェル『1984年』のようなディストピアでもない感じです。

 本作は刑事罰、宗教、人間中心主義など、ヴィクトリア朝社会を風刺しています。エレホンの法律によれば犯罪者は病気であるかのように扱われ、病人は犯罪者とみなされます。これは犯罪は罰せられ、身体的な病気は治療される西洋社会を逆転させたもので、不道徳は個人の制御を超えた運の問題で、病気は個人の自主性の範囲内にある、というのがエレホンの世界です。

 また、機械が登場しないことも特徴であり、これはエレホン人にとって機械が危険であるという潜在的意識が共有されているためです。機械は自己複製と突然変異の機能を持っていて、長時間かけて自己意識を持つようになり、そのとき人間と機械の差異はなくなり性能に劣る人間の価値が下がるから、という認識から機械は忌避されています。これは、サミュエル=バトラーが、ダーウィンの『進化論』と自然選択説の機械論的な構造を否定していたことに由来します。

 ただ、バトラーも、進化論者です。

伝統的進化論とダーウィン進化論

 バトラーは強烈な反ダーウィン主義者ですが、反進化論者ではありません。進化論者ではあるものの、ビュフォンとエラスムス=ダーウィン、ラマルクを、特にラマルクを支持していました。

 ダーウィンの進化論とラマルクの進化論の説明するのに「なぜキリンの首は長いのか」に対する解釈の相違が挙げられます。ラマルクの場合、それはキリンという種が高いところにある枝や葉を食べるために獲得形質が遺伝し進化した、という目的論的進化論を展開するのに対して、ダーウィンは、そのような個体の形質が環境に適応的になったから、そのような形質の個体が残ったから、という非目的論的な進化論を展開したのでした。

 伝統的にも直感的にも、特定の目的に従って進化するというラマルクの進化論が受け入れられやすかったのですが、ダーウィンは、進化ゲームのなかでの非目的論的なアルゴリズムの帰結として、進化をモデル化しました。

 サミュエル=バトラーのようなラマルク的な用不要説は現在は否定されていますが、一概にバトラーのスタンスが悪い、間違っていたといえるものでもありません。バトラーはダーウィンの伝統的な進化論への文献学的なアプローチへの軽視を特に嫌っていたようで、学究としては実際の経験や観察に則そうとするダーウィンの姿勢も、既存の研究にまず立脚しようとするバトラーの姿勢も、どちらにも理はあり、どちらにも欠点はあります。この場合、バトラーのほうが、その姿勢の欠点のほうを体現してしまって、伝統的な分析枠組みに拘束されて、観察から得られる経験的な根拠への分析が不合理になってしまったのだと言えます。

 また、本作を進化論SFと捉えるなら、ダーウィン進化論から導かれる帰結に科学に対抗しようとしたウェルズ『タイムマシン』などと、少し重なります。

異世界冒険譚

 本作はスウィフト『ガリヴァー旅行記』のような異世界旅行記になっていて、異世界のグロテスクな描写を通じて、文明批評をするコンセプトが共通しています。 

 一見不合理なエレホンの社会の描写を通じて、それと何ら変わりのない偽善に満ちたヴィクトリア朝の社会を批判します。

物語世界

あらすじ

 壮大な山脈の向こうにある幻想的な土地を舞台に、若い羊飼いのヒッグスは禁断の地への好奇心を抱きます。ヒッグスが山々へと足を踏み入れた時に異世界への冒険が始まり、社会規範が外の世界とは大きく異なるエレホンという社会を発見します。

 エレホンでは、病気は犯罪とみなされ、窃盗や殺人といった道徳的違反は慈悲の心で受け止められます。住民は機械に独特の信仰を持ち、機械が支配的になる可能性に対する恐怖から、あらゆる機械装置を廃止しています。経済は二重の貨幣制度を特徴としており、一方の貨幣は精神的な意味を持ち、もう一方の貨幣は貿易に使用されます。

 また子供の誕生は隠すべきことであり、生まれることは罪であるとされます。子供はこの世界の向こう側で幸福な暮らしをしているものの、あまりの好奇心の強さで面倒な手続きをしたうえで、だれの子供になるかを選択できないまま生まれてくるというわがままな存在となっています。誕生後数週間めの披露の席では、集まった人が赤ん坊を罵倒します。他方、死ぬことは大したことではなく、むしろこの世界の向こう側の幸福を獲得する手段とされます。

 大学は、不合理大学という名称で、習うのは仮説学という詭弁の論理で、ここで徹底的に合理的、実証的な思考をなくすよう仕込まれます。

 ヒッグスは、アロウェナという女性と親しくなります。エレホンでは珍しく貴重な金髪のおかげで、当初は恵まれたヒッグスでしたが、国の王が彼を裁きにかけようとしていることを知ると、語り手は愛するアロウェナと共に気球で脱出する計画を立てます。

 エレホン人の復讐をかろうじて逃れるものの、気球は海に墜落します。しかし、イタリアの船に救助され、もとの社会へと帰還します。ヒッグスは、エレホンでの伝道活動の資金を調達するため、この物語を出版することを決意するのでした。

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