始めに
大江「死者の奢り」解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
実存主義、カミュ
大江健三郎は、サルトルなどの実存主義から影響が顕著です。
本作は実存主義の作家カミュ(『異邦人』『ペスト』)の『シーシュポスの神話』をも思わせる内容です。これはシーシュポスの神話に着目する随筆です。
ギリシア神話において、シーシュポスは神々を欺いて怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けます。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶものの、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちます。それを繰り返しても、無意味な結果にしかなりません。
人間も同様にいくら頂上へ登ろうとしても、やがては死に帰す運命です。そんな運命を前にしてもそれに反抗し、人間という存在の不条理を引き受けることで個人としての自由な生を実現しようとする姿勢、生を積極的に捉える姿勢を、カミュは是としました。
本作の不条理
本作で語り手の「僕」が置かれたシチュエーションもそれと共通します。医学実験に使うための死体処理のアルバイトに参加したものの、事務の手違いで、それがおそらくは徒労に終わり、報酬も得られず遺体も破棄されることが示されています。「僕」は思いがけない人生の不条理さを意識させる目の前にして、途方にくれます。
おそらくは報酬も得られず、死体もそのまま処分されるのならば、「僕」の努力は何だったのでしょうか。
ラストには、今日これからも働かなくてはならないものの、報酬のために交渉をしなくてはならず、生の不条理を意識したことから言いようのない気持ちに押しつぶされそうになる僕の姿が描かれます。
死者と女性と胎児
本作でもう一人の主人公が、語り手の出会う女学生です。彼女は妊娠しており、堕胎手術の費用を稼ぐ為にきているそうです。女学生は、このまま曖昧な気持ちで命を産んだら酷い責任を負うことになるが、その命を抹殺した責任も免れないという、閉塞した状況にあります。
彼女は死者を眼の前にして、自身が身ごもっている子供についての信念を洗練させていきます。死ぬにしても、生まれてからでないと収拾がつかないと考えるようになり、生もうと考えます。
生まれて来ないことには、死ぬ選択すら、自分で選ぶことはできません。ただ処分されるだけの死体のように、他者によって運命の帰趨を委ねられるままです。
彼女の苦悩はやがて、『個人的な体験』などに見える父としての作家の苦悩のドラマへと発展していきます。
ガスカールとメイラー
大江健三郎はガスカールという作家の戦争文学や、行動主義でモダニズムの作家ノーマン=メイラーの影響が初期には特に顕著です。
本作も、ガスカールやメイラー文学のような、生々しく身体的でグロテスクな世界を展開しています。
物語世界
あらすじ
僕は先日、大学の医学部の事務室で、アルコール水槽に保存される解剖用の死体を処理するアルバイトに応募しました。
休み時間、僕は水洗場で足を洗う女学生に出会います。彼女は妊娠しており、堕胎手術の費用を稼ぐ為にきているそうです。女学生は、このまま曖昧な気持ちで命を産んだら酷い責任を負うことになるが、その命を抹殺した責任も免れないという、閉塞した状態を伝えます。
全ての死体を新しい水槽に移し終え、附属病院の雑役夫がアルコール溶液を流し出しに来るまで、管理人室で休もうとします。そのとき女学生は、部屋の隅で吐きます。女学生は、水槽の中の死体を眺めながら、赤ん坊を生もうと思い、赤ん坊は死ぬにしても、生まれてからでないと収拾がつかないと考えていたところだと告白します。
管理人室に戻ると、医学部の助教授が、事務室の手違いで、本当は古い死体は全部、死体焼却場で火葬する事に、医学部の教授会で決まっていると管理人に話しています。管理人は狼狽するものの、新しい水槽に移した死体を焼却場のトラックに引き渡す事を承諾します。助教授の話では、明日の午前中に文部省の視察があり、それまでに両方の水槽を清掃して、溶液を入れ替えなければならないということです。管理人は僕に、アルバイトの説明をしたのが自分ではなく事務の人間だったことを覚えていてくれと言います。
僕はこれからはたらかなくてはならず、また報酬のためには事務室との交渉が必要です。そこで言いようのない感情に襲われるのでした。
参考文献
小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)




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