始めに
カミュ『異邦人』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
不条理文学
カミュは不条理文学の作家です。
カミュやサルトルにとって不条理とは無意味なもので、そのため人間の存在は不条理でした。人間という存在の偶然性は外的な正当性を見つけられないと見るからです。無神論において、宇宙の物理的世界の中に生きる人間は、人間の外部の世界から、積極的な価値を与えてもらえないという意味合いにおいて無意味で不条理、みたいな感じです。
不条理は、人間が、人間の価値は確固とした外部の要素に基づいていないことに気付くことで意識されまれます。不条理からは、なぜ人は生き続けるべきなのかという疑問が生じます。カミュは不条理は人生の一部であると受け入れ、ニヒリズムに陥らないで、それとともに生きることを提案します。
しかし人間は不条理であるからこそ自由なのであり、その自由により不条理を超えた先に、カミュはその克服の契機を見出そうとしました。
実存主義
カミュは、ギリシャ哲学、ニーチェなどに影響され、実存主義に括られるものの、実存主義とされることを避けようとし、実存主義を批判しました。その批判は主にサルトルの実存主義と、キルケゴールのような宗教的実存主義に向けられました。カミュは無神論者で、マルクス主義やサルトルが着目する歴史の重要性や、実存が本質に先行するという発想などには否定的でした。
しかしカミュは不条理な世界を前提とした個々人の生と倫理を思索の中心としたという点において、実存主義者でした。カミュは人生に意味がないこと、あるいは存在していても人間がその意味を知ることができないという不条理を生の前提として受け入れるべきものとしました。
反抗の文学
『反抗的人間』において、カミュは反抗というテーマについて考察を展開します。ここにおいて主なテーマは、反抗と革命的イデオロギーとの峻別です。
真の反抗的人間とは、革命的イデオロギーの正統性に従う人ではなく、不正を拒絶する存在と捉えました。そして真の反抗的人間には、マルクス主義などにおける全体主義政治よりも、現代の労働組合社会主義のような革新的政治がむしろ該当するとみました。
イデオロギーの組織的暴力、政治的犯罪を、カミュは否定しました。善い目的のためにも、邪悪な手段を使うことは許されないと考えたのでした。形而上学的反抗の抽象的な精神を具体化し、世界を変えようとする試みであるところの革命において、反抗的人間は世界の悪と、あらゆる革命が持つ本質的な悪との間でバランスを取り、不当な暴力に頼ることを否定しなくてはいけないと見たのでした。
このようなカミュの視点からは、本作におけるムルソーの行動や姿勢は必ずしも全面的に支持できるものではないでしょうが、それでもムルソーも不条理と悪に対する反抗的人間ではあります。
『幸福な死』
本作は『幸福な死』という作品がもとになっています。
『幸福な死』では、アルジェの貧困街で暮らす青年メルソーは、母親が死んで以来、孤独に貧しい生活を送っています。唯一の楽しみは、マルトという女性と過ごす夜の時間でした。メルソーは公衆の面前でマルトが美貌をひけらかすことに、優越感と喜び、そして性的嫉妬を抱きます。メルソーはマルトを通じて、彼女の過去の恋人ザグルーと交際するようにもなります。ザグルーは脚を失っている金持ちで、不幸の原因は貧困だと考えています。幸福には時間が必要で、その時間は金で買えるというザグルーの言葉を聞いたメルソーは、ザグルーを射殺し、金を奪って汽車に乗ります。メルソーはプラハやウィーンを旅し、その後三人の女友達に会うためにアルジェに帰ります、そして「世界をのぞむ家」での共同生活に至福を見出し後、郊外に移住して1人で暮らします。孤独という名の自己放棄で世界と一体化する感覚を覚え、そこにこそ幸福を見つけます。やがて病気を患い死を迎えるものの、死も世界と一体化するという意味で幸福でした。
ここにおいても、既成のモラルや価値観に反抗し、個々人の自由な生や意志のうちに価値を見出すようになるプロセスが描かれています。たとえ死という運命が避けられず、人生の不条理さを意識させられそうになったとしても、死の瞬間に満たされている主人公を描きます。
ムルソーの反抗
本作におけるムルソーについて、カミュの立場からは完全に肯定することはできないでしょうが、それでも反抗的人間としてムルソーは描かれています。
ムルソーが抗うのは、他者から押し付けられる眼差しであったり宗教的なモラルであったりしていています。確かにムルソーは本作において、自分に刃物を向けて狙ってきたアラビア人を過剰防衛のような形で銃殺しており、これに関しては完全に肯定することはできないでしょう。しかし、裁判において、母親が死んでからの普段と変わらない行動を咎められ、人間味のかけらもない冷酷な人間という誹りをうけ、そこからムルソーに死刑が言い渡されるのは、硬直化したキリスト教的モラルのなす不正義です。結局その延長線上にあるのが、カミュが否定した現実社会主義国家などにおける全体主義のもたらす不正義や新左翼のテロリズムで、イデオロギーを普遍化しようとすることによる個々人の自由の侵害に他なりません。
「太陽が眩しかったから殺した」という動機の説明や、死刑のさいに向けられる罵倒に生きる希望を見出す、一見グロテスクな振る舞いは、自己の内的な精神的な自由を守ろうとする反抗的姿勢と積極的に評価できます。
宇宙の物理的世界の中に生きる人間は、その外部の世界から、積極的な価値を与えてもらえないという意味合いにおいて無意味で不条理です。それでも不正義をはらむ宗教的・政治的イデオロギーを生きる縁にしたり、イデオロギーのために他者の自由を侵害するような加害をなすことをせず、また不条理に絶望してニヒリズムにも陥ることなく、自己や他者の自由を守ろうとする反抗的姿勢をこそ、カミュは評価します。
物語世界
あらすじ
第一部
アルジェリアのアルジェに暮らす主人公ムルソーの元に、ママンの死を知らせる電報が、マランゴの養老院からあります。母の葬式のために養老院を訪れたムルソーは、特に感情を示しません。
アルジェに戻ったムルソーは、海水浴場で会社の元タイピストのマリイに再会します。その後、二人はコメディ映画を見て、親密になります。これは母の葬式の翌日のことです。
ムルソーは隣人のレエモンから情婦が家に居座り働かず金をせびりだしたと相談されます。 ムルソーはレエモンに協力し情婦を追い出しますが、それが理由で、レエモンは情婦の兄を含めたアラビア人の集団に狙われます。
ある週末、レエモンはムルソーとマリイを友人のヴィラに招待します。その帰りに、アラビア人が現れ、喧嘩が起こり、そこでムルソーがレエモンの拳銃を預かります。
ムルソーは一人で海辺を散歩に出掛けると、先ほどのアラビア人の一人がいて、ムルソーに刀を向けます。 ムルソーは激しい暑さを感じ、太陽の光から逃れようと一歩前に進みます。 そして拳銃でアラビア人を殺害します。
第二部
ムルソーは逮捕され、裁判にかけられます。裁判では、母親が死んでからの普段と変わらない行動を問題視され、人間味のかけらもない冷酷な人間であると糾弾されます。裁判の最後では、殺人の動機を「太陽のせい」といいます。
死刑を宣告されたムルソーは、懺悔を促す司祭を監獄から追い出し、死刑の際に人々から罵声を浴びせられ、それを人生最後の希望にします。




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