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井上靖『闘牛』解説あらすじ

井上靖
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始めに

 井上靖『闘牛』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

モダニズム、中間小説

 井上靖はシャルルルイ=フィリップ、芥川、谷崎、ヴァレリーなどから影響が大きく、その象徴主義やモダニズム的な形式主義的実験や端正なスタイルを継承しました。

 作品には古典的な内容に題材をとるものや時事的な内容を扱うものまでバラエティー豊かです。古典的な題材のものには谷崎や芥川も試みた中国を題材にするものも多いです。モダニズムらしく、視覚的な、さながら映画的なイメージに訴えかけてくる演出の作品も多いのも特徴です。

 1907年5月6日北海道上川郡旭川町に軍医・井上隼雄と八重の長男として生まれ、井上家は静岡県伊豆湯ヶ島で代々続く医家でした。父・隼雄は現在の伊豆市門野原の旧家出身であり井上家の婿でしたが転勤が多かったため、幼少期は家族と離れ、戸籍上の祖母と伊豆湯ケ島で暮らしました。これは自伝的作品の背景です。

モデル

 社運を賭けた新聞社主催事業闘牛大会の実現に奔走する新聞編集局長の情熱と、その行動の裏側に潜む人生に賭けきれない知識人の姿を描きます。

 舞台は阪神地域です。戦後を代表するイベントプロモーターの小谷正一が西宮球場で開いた闘牛大会をモデルとします。

タイトルの意味

 主人公の津上は、新聞社の事業として巨大な闘牛大会を企画しますが、彼を突き動かしているのは成功させたいという純粋な情熱ばかりではありません。戦後の混乱期、何に対しても価値を見出せない冷めた虚無感が彼の根底にあります。あえて失敗するかもしれない危険な賭けに身を投じることで、自分の生きている手応えを確認しようとする心理が描かれています。


​ ​物語の核心は、闘牛そのものよりも「それが開催されるか否か」「牛が戦うか否か」という不確定な要素に振り回されるプロセスにあります。人生の明暗が、本人の努力とは無関係な運や偶然によって決まってしまう不条理が描かれています。

物語世界

あらすじ

 一月二十日から三日間、阪神球場で闘牛大会との社告が大阪新夕刊紙に発表されます。編輯局長津上は、四国から出向いた興行師田代と道を歩きながら大会後に牛を買い取ることを相談されるものの、B新聞の子会社として創立されたばかりの財政状態では無理でした。それを同郷の岡部という阪神工業の社長が買うかもしれないと五十過ぎの田代は言います。彼が津上の住居を初めて訪ねたのは一ヵ月程前で、さき子と別れる別れないの話があった翌朝でした。彼は伊予の牛相撲を大阪の檜舞台で行う夢を語り、これほど儲けの確実な事業はなく、牛の勝負に観衆が賭けるのだと話します。それを聞き津上は熱を上げ、さき子はあなたが夢中になりそうな話だと言うのでした。

 津上はB新聞社の社会部デスクを三年勤め、その後新夕刊紙の編輯局長に三十七で就任しました。社長は映画界上りの尾本です。津上は新しいインテリサラリーマン向け紙面を目指します。津上の性格をよく見抜いたのは、戦時中から三年越しに関係を続けているさき子でした。津上には鳥取に疎開させたままの妻と二人の子供があり、さき子には彼の大学時代の友で戦死したまま遺骨の帰らない夫がありました。さき子は津上の愛情にどこか燃えきらなさを感じます。

 翌日新聞社で幹部会が開かれ、三日間の球場での開催と、収益と支出との差額を新聞社と田代の梅若興行部で折半することになります。社内で準備委員会が造られ、津上は四国のW市を訪れます。田代が話をつけていて、闘牛協会や地元の人たちから歓迎され牛舎や牛相撲が行われるS神社を見て回ります。

 大阪へ帰ると球場関係者や県の担当部局に出かけ交渉をします。津上は田代に案内されてあるビルの小部屋で岡部と会います。岡部によると、彼のいろいろな会社は終戦後に南方から復員して神戸で農機具の販売や借金などをして一年で作り上げたもので、今は千万や二千万円は持っていて、牛に関することは全部面倒を見ると言います。しかし津上は最初の事業なので新聞社単独でやりたいと断ります。帰り際に田代から、牛の輸送に使う車輌が足りず鉄道局と交渉しているが解決するには岡部の力が必要で、すでに彼と話をしていると言われます。

 さき子は津上と大晦日の晩だけ京都の旅館で過ごしますが、不安を感じます。正月はアパートに閉じこもります。新夕刊紙には闘牛の記事が目立ちます。日頃職場に来てはいけないと言われていたものの、阪神球場を訪ねます。彼はスタンドの通路の先にいて、二人は坐って周辺を眺めます。京都の茶会へ二人で行きたいと彼女が話すものの拒まれ、気まずくなります。

 大会が近付くと、紙面が闘牛の記事一色になります。広告費用は予定をはるかに超過します。会計部長からも釘をさされますが、牛の受け入れ準備が整います。それでも予定通りに行けば、二百三十万円の純利益、それを田代と山分けしてざっと百万円の計算です。

 翌朝、省線の三宮駅に行くと牛が到着しており、田代によれば出発して五日目だと言います。そして愛媛の方で牛の食いぶちを特配してもらうつもりができなかったので、それ何とか頼むしかないと言います。津上は自分が岡部に話すと伝えます。牛たちが出発したものの、そこへまた田代が来て勢子たちの日当として明日までに十万円ほしいと言います。

 津上が大阪の社に引き返すと、東洋製薬の青年社長三浦が訪ねてきています。入場券全部を全額前金の二割引きで譲ってもらえないかと言うのです。宣伝に使うため、それに自社製品の七円相当の清涼の小袋を添付して売りたいそうです。

 津上は全部は無理だがリングサイド券ならと提案するものの、それは客層が違うと断られます。三浦はここ数日は雨になる予報だし、明日朝もう一度訪ねるので考えてほしいと残して帰ります。津上はそれから牛の食料と十万円の用意のため、尼崎の岡部の会社に行きます。岡部はウイスキーを進めたものの、津上が米と麦と酒の件を切り出すとすぐに用立てすると言います。米と麦は、農機具の見返りに農村から送らせる叺の底に少しずつ入れるそうです。

 翌日の大会前日、少し空模様が崩れます。津上は前日の夜、金の件で事業家二人に電話をかけたがどうにもなりません。尾本に三浦の話をすると昨日のうちに決めるべきだったと言います。

 三浦が来て雨八分、晴二分ですが僕は晴二分に賭けるがどうかと切り出すと、尾本がその強気に刺激されて話を打ち切り、津上に十万円はぼくの方で何とかすると言います。彼は用立てて帰って来ます。

 津上はそれを携えて田代のいる球場の事務所に行きます。米と麦と酒は、今朝四時に運び込まれていました。

 その夜、開催前夜の祝宴が西宮の料亭で催され、その席で優勝候補の三谷牛と川崎牛の飼い主が昂奮して啖呵を切ります。

 当日宿直室で眼を覚まし窓を開けると、氷雨が腕を打ちます。気象台に問合せると晴れたり曇ったりの予報です。

 球場事務所に行くと田代が不運な顔をしています。二時から開催のビラを撒き、少しだけ人が集まります。三日のうち一日の黒星でも大勢には決定的です。

 津上はスタンドの最上階から冷たい風景を眺め寂寥感にひたります。再び雨があり、大会中止の放送を流します。気付くとさき子が傘をさして立っていました。津上は事務所に戻りやるべき仕事をし、明日も午前中雨なら中止と言い渡した後、二人で自動車に乗ります。さき子は愛人の顔をじっと見詰めますが、母親の持つ勝利感に似た、一種残忍な快感を伴った欲情がさき子を別人のようにしていました。

 雨は二日目の夕方から上り、三日目は晴れます。九時には一万六千枚程の入場券が売れました。尾本は損害を減らすことに熱心で、田代は絶望的な気持でウイスキーの小瓶を口に運び、誰も闘牛など見ていません。しかし津上は闘牛を夏までに東京へ持って行く企画を思いつめていました。三時までに三万一千枚が売れたものの、田代はざっと百万の損害で半分の五十万が大穴と言い、頭を抱えます。

 そこへ三浦が現れ同情も憐みも見せず、打ち上げの花火代を持つので“清涼”の引換券をいれさせてほしいと頼み了承されます。津上は彼に敵のようなものを感じますが、それは津上が破局へ突き進むのに対し、それと対蹠的な彼の幸運を憎んでいるのでした。

 牛繋場では岡部が田代をつれて牛の品定めをしています。呼びものの三谷牛と川崎牛の試合は一時間以上も決着がつきません。津上の発案で引き分けか最後まで闘わせるか観衆の拍手で決めることになり、続行となります。

 さき子は闘牛には興味がなかったものの、内野席にずっと坐っていました。そこから見える津上は若い幹部らしい平常のエゴイスチックな眩しさがあり、もう自分のもとへ戻ってこない気がします。

 津上が来て隣に坐り、観衆の七割がこの牛の競技に自分を賭けていると言います。さき子はみんなが賭けているのにあなただけ賭けていないと言うと、君はと聞かれた瞬間、反射的に私も賭けていると答えます。赤い牛が勝ったら別れようといいました。

 二匹の牛は身動きせずスタンドは静かです。その時均衡が破れ、さき子は即座に見極められず、烈しい眩暈を感じたのでした。

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