はじめに
大江健三郎『政治少年死す』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
モデルの山口二矢
本作の語り手である「おれ」のモデルは山口二矢です。1960年10月12日、政党代表放送で演説中の日本社会党の党首浅沼稲次郎を刃物で殺害したことでしられています。山口は逮捕され、東京少年鑑別所内で縊死したのでした。
本作は『セヴンティーン』の続編です。前作では暗殺事件までは描かれず、語り手のおれが、右翼的な活動に埋没するまでを描いています。また『セヴンティーン』では明確なモデルとして山口二矢を設定しておらず(そもそも発表も二矢の事件のすぐ後なので、構造の段階からモデルではなかったかもしれません)匂わせるくらいで、『政治少年死す』では明確に山口を踏まえるキャラクターになっています。
本作に描かれるおれは結構経歴や政治思想など、たとえばノンフィクションの沢木耕太郎『テロルの決算』などに描かれる二矢と比べてみても、大胆な脚色が多く、二矢と一致しない部分も多いです。
ラディカリズムへの警鐘
本作は右翼的な少年の内面の歪みを描いたものですが、作品のベクトルとしては新左翼の暴走を描く他の作品群とも重なります。
語り手の「おれ」は、オナニーに熱中する少年で、あいまいな政治思想を持っていて、自分へのコンプレックスや不安を強固に持っています。そこで思いがけず、右翼的な活動に巡り合い、他者を傷つけることへの大義名分や、天皇という精神的な拠り所を得たことで過激な運動に没頭し、やがて続編での暗殺へと至ります。
大江健三郎は左翼で、それゆえ新左翼の暴走を複雑な心情で創作に描いてきましたが、新左翼の暴走も「おれ」と重なるところはあるのかもしれません。すなわちコンプレックスの強い人間が政治活動に打ち込むとき、理想や精神的よりどころをえることで自己肯定感がしばしば高められはするものの、それが利他的な感情や正義、また個人の生や自由に根差すものでない限り、間違った方へと転がりうるといえるのだと思います。
天皇制批判
本作は天皇制を批判する内容です。大江にとって天皇制は、民主主義や公共的徳とは相容れないもので、ナショナリズムのために動員される道具にすぎず、本作でもそれについて批判的に言及します。
本作では語り手のおれは、天皇という存在に惹きつけられたことで、誇大妄想を拗らせて、歪んだ感情をエスカレートさせてしまいます。それは利他的な動機につながらず、自分本位で利己的な積極的自由を実現する縁にしかなっていません。
『みずから我が涙をぬぐいたまう日』に、本作の天皇批判は継承されます。
物語世界
あらすじ
自涜(オナニー)癖と劣等感に悩む17才の少年で語り手のおれ。前作で右翼に目覚めてから変わり始め、次第に自信を深めます。
彼は自慰するときと短刀で暗殺のまねごとをするとき、自分の存在を確認できました。
「おれ」は前作を経て、次第に過激で暴力的な党員として一目置かれだしています。
やがて「トルコ風呂の女奴隷」に会いに行くこともなく、性欲も感じなくなっていきます。どうも大勃起、大オルガスムとにむかって精液と性エネルギーとをたくわえているのだろうとおれは考えます。
おれは恩師逆木原や「左翼がつくった『わだつみのこえ』」の愛読者である安西といった尊敬の念を抱いた人々をも離れ、やがて自らでの行動を決心するのでした。そして「バナール」な演説をする(社会党)の委員長を暗殺することにします。
そうして、おれは「天皇の栄光を願わない者」の代表として委員長を短刀で暗殺します。警察の取り調べではあくまで単独犯を主張します。強いていえば、天皇の幻影が私の唯一の共犯だと語ります。
少年は委員長を刺殺した瞬間、魂を棄てて純粋天皇の偉大な溶鉱炉のなかに跳びこみ、そのあとにやってきた不安なき選れたる者の恍惚という至福の四次元に飛び込んだのでした。この恍惚が無意味にされ、天皇から永遠に見捨てられることを恐れ、少年は自殺します。そして首を吊りながら射精するのでした。
少年が自殺したとき、隣の独房の若者はかすかにオルガスムの呻きを聞いたそうです。死体は精液のにおいがしたのでした。
参考文献
小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)




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