始めに
ジョイス『若い芸術家の肖像』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
新古典主義、神話的象徴の手法
モダニズム文学はT=S=エリオットの『荒地』などを皮切りに、フォークナー(『響きと怒り』)、ジョイス(『ユリシーズ』)、三島由紀夫(『奔馬』)、大江健三郎(『万延元年のフットボール』『取り替え子』)など、神話的象徴の手法を取り入れるようになりました。これは神話の象徴として特定の対象が描写され、新しい形で神話や特定の対象が発見される機知が喚起する想像力に着目するアプローチです。
本作の主人公はスティーブン=ダグラスで、これはジョイスの分身ですが、神話のダイダロスとイカロスの父子を意識したものになっています。
ミノタウロスを閉じ込めたクレタ島のミノス王の迷宮からダイダロスと息子のイカロスが脱出を試みた際に、イカロスは蜜蝋で固めた翼によって羽ばたくものの、父の警告に従わず、太陽(神ヘリオス)に近づきすぎてしまいます。翼を留めていた蝋が溶けて、イカロスは落下して死んでしまいました。
こうしたダイダロスとイカロスの神話を踏まえて、信仰と美的野心の間でゆれるスティーブンの青春の葛藤を描いています。
『ユリシーズ』でのスティーブン
『ユリシーズ』においてもスティーブンは主人公の一人です。
そちらではテレマコスに加えて、『ハムレット』のパロディとしてその物語が展開されていきます。父の亡霊に悩むハムレットを象徴として、スティーブンの物語が展開されます。
本作で故郷への愛憎や信仰への揺らぎ、社会への不信が描かれていますが、『ユリシーズ』では、そんなスティーブンが精神的な父を求めて混乱する姿が描かれます。
一人称的視点のリアリズム、意識の流れ。プラグマティズム、現象学
モダニズム文学に典型的な手法が意識の流れです。意識の流れという手法は、現象学や心理学を背景に、一人称的視点への構造的理解と再現を図ろうとするものです。
ジョイス『ユリシーズ』、フォークナー『響きと怒り』、ウルフ『ダロウェイ夫人』などに見える意識の流れの手法は、現象学(フッサール、ベルクソン)、精神分析などの心理学、社会心理学、プラグマティズム的な知見を元に一人称視点のリアリズムをラディカルに押し進めたものでした。
プルースト(『失われた時を求めて』)もベルクソンの現象学の影響で、ジョイスもデュジャルダンの『月桂樹は切られた』などの影響で、それぞれ独自の意識の流れの手法について開発し、現象的経験の時間的に連続した経過の再現を試みています。
本作はまだ意識の流れの手法は希薄ですが、自由間接話法によりスティーブンの内的独白なども描かれていきます。
エピファニー
ジョイスは美学においてエピファニーという発想を提唱しました。これは、「平凡な瞬間の中に、対象がふとした瞬間に見せるその本質の顕れ」のことです。ジョイスはイプセン(『民衆の敵』『人形の家』)という戯曲作家のリアリズムからの影響が顕著で、エピファニーの発想にも、それが手伝っています。
本作でもドリーマウント海岸沿いで、主人公のスティーブンは水の中を歩いている少女を見つけ、彼女の美しさを文章で表現する方法を見つけたいという欲求に駆られる場面があり、これは『ユリシーズ』に描かれるエピファニーに繋がっていきます。
物語世界
あらすじ
スティーブンはイエズス会が運営するクロンゴウズ・ウッド・カレッジに通います。クリスマスディナーで、チャールズ・スチュワート・パーネルをめぐるアイルランドの社会的、政治的、宗教的緊張を目の当たりにします。ここから家族間の亀裂を生み、スティーブンは社会に不安を感じます。
クロンゴウズに戻ると、年長の男子生徒が数人「密告」で捕まったという噂が広まり(同性愛の悪ふざけをしていたところを捕まったということ)、規律が強化され、イエズス会は体罰の使用を増やします。スティーブンは、教師の一人から、勉強を避けるために眼鏡を壊したと信じて罰を受けるもののものの、クラスメートに促されて、教区長のコンミー神父に苦情を申し立て、神父は二度とそのようなことはしないとスティーブンに保証し、スティーブンは勝利を味わいます。
スティーブンの父親は借金を抱え、家族は快適な郊外の家を離れ、ダブリンに移り住みます。コンミー神父が獲得した奨学金のおかげで、スティーブンはベルヴェデーレ・カレッジに通うことができ、そこで学業で優秀な成績を収め、クラスのリーダーとなります。スティーブンは売春婦と付き合い始め、酒浸りの父親との間には距離が生まれます。
スティーブンが官能的な快楽に身を任せているなか、彼のクラスは宗教的な説教に連れて行かれ、少年たちはそれを座って聞きます。スティーブンは、傲慢、罪悪感、罰、そして最後の四つの事柄(死、審判、地獄、天国)についての説教に特に注意を払います。地獄での恐ろしい永遠の罰を描写した説教の言葉が自分に向けられていると感じ、圧倒されて許しを願うようになります。
教会に戻ったことを非常に嬉しく思い、彼は悔悛に専念しますが、どうも上手くいきません。彼の宗教的な熱心さはイエズス会の目に留まり、司祭になることを検討するよう勧められます。スティーブンはしかし、彼の精神的信念と美的野心との間の葛藤のために信仰の危機に陥ります。
やがえドリーマウント海岸沿いで、スティーブンは水の中を歩いている少女を見つけ、彼女の美しさを文章で表現する方法を見つけたいという欲求に駆られます。
ダブリンのユニバーシティ・カレッジの学生として、スティーブンは教会、学校、政治、家族といった周囲の組織に対して警戒心を強めます。父親はスティーブンを叱責し、母親は教会に戻るようスティーブンに促します。
やがてスティーブンは、アイルランドはアーティストとして自分を十分表現するには制限が厳しすぎると結論付け、国を去らなければならないと決意します。彼は自ら選んだ亡命を決意するが、日記の中で故郷とのつながりを宣言せずにはいられません。
参考文献
・リチャード=エルマン 宮田恭子『ジェイムズ=ジョイス伝』(みすず書房.1996)




コメント